人々は小生意気で早熟な闇成金の息子たちに対するのとはちがった、ほほ笑みをもらすのである。皇后が動物園へ行って、おもしろそうに笑って象を見ている、その姿に、世間を知らないかあちゃんの、あどけなさを感じるのである。
人間になったものとしての日本の主権者一家に、みんなのもつ暖い感情があるとすれば、それは、決して頼りになる存在としての、しっかりした男同士の近親感ではない。日本の人民が戦争に「使用」されることをことわるような重大なときに、相談のあいてになり、その意見に責任を負って語る者としての期待であるとは言いにくい。丁度親が、おそく歩きはじめたわが子のよちよち姿を見て、丈夫な子を持った親は知らないよろこびに涙ぐむように、日本の善良な人民のこころは、今になって、どうやらわれわれと大してちがったものでもなく生きるようになった方々、に、身分が高いだけ気の毒な、として世なれたおとなの親しみをおぼえて来ているのである。
三笠宮が人間皇族としての文化代表であるらしいけれども、彼の文化性はこんにち心ある人々に冷汗をかかせる。『スタイル』という婦人のモード雑誌の新年号(一九五一)にアンケートがある。(一)ラヴ・レターをお書きになったことがお有りですか。(二)すましていてすべってころんだときは、どういうポーズと表現をしますか。(三)あなたのお顔の色々の道具の中で何が一番お好きですか。云々という風な質問である。回答者の、ポスター・バリューのある似顔が程よく入れられていて、川路龍子、獅子文六、小野佐世男その他にまじって三笠宮崇仁親王という公式の名で、回答がのせられている。(一)の答えは、小学四年生のとき母に愛のこころをこめて送った書簡が最初のラヴ・レターと語られている。(三)の答えが、こんにちの日本の何かを直接に反映していて人々に考えさせずにおかない。「道具という単語をしらべたるところ、仏道修業の用具、人の手足に纏い、又は手にて使用する補助具、他のために利用せらるゝ人。もしくは陰茎、とあり。遺憾ながら予の顔面に該当品を発見せず」
あきらかに、いまの日本に横行している、笑わされたあとでは、気分がわるくなるくすぐり[#「くすぐり」に傍点]の調子である。崇仁親王という名と、その人のストリップ的なこのようなくすぐりと。この結び合わせこそ、「とんでもハップン」の隷属日本の風俗とたいこもち精神を代表し
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