は、ひびわれの間から発生している。いまのままの社会状態では、われわれが平安に生きることのできる日は一日もない。これは、こんにち、占領下の日本に特権というものをもっていない、すべての人が感じている。
 資本主義社会の悪として生じているあらゆる問題の正当な解決の見とおしは、資本主義社会そのものの全体の発展――社会主義社会への見とおしなしにあり得ない。たとえそれが、どういう言葉によってあらわされているにしろ、この実状も、あらゆる人に予感されている。ソヴェト同盟の社会主義社会の建設について、疑いぶかい人たちも、日本に近い中国で、「あのシナでさえ」人民の新生活がはじまっている事実については、無関心であり得ないのだ。
 すべての婦人にとって、また男にとって、きょうの実際問題は、占領下のこの日本の実状のもとで、日本という列島がその島々ごと戦争にまきこまれはじめているこのきょうのなかで、各人の人間男女としての努力はどのようにされて行ったらいいのだろう、ということである。

 一九四五年八月十五日から、こんにちまで日本のわれわれは、日本の民主化というものが、どんな風に推移して来たかを、まざまざとその身で経験している。ポツダム宣言。日本の新しい憲法。労働に関する法律。人民の日常生活安定を確保することについての政府の公約。それらの日本人民の民主的生活をうち立てるための柱は、こんにちまで、三段か四段の過程をもって、次第に削られて来た。そして、帝国主義というものの矛盾としてあらわれるそのような二枚刃のカンナの削り作業に対して、異議をとなえる意見や発言の限界は、「君たちは話すことができる」一九四六年ごろとは非常に変って来た。
 これらの変化のあるものは、厚かましい公然さで自身の場所をしめて来た。またあるものは、いろいろの社会心理のモメントをとらえて、いわば三越や白木屋のマークが、いつか日本人の眼にしみこんでしまっているように、日本の人民に印象づけられて来ている。
 その著しい例は日本の天皇の一族に対する日本人民の感情の導かれかたである。天皇はあらひと神ではなくて、人間の男であり、皇后、皇太子、皇女たちは、その妻や子息、息女であることがわからされた。
 人々は、人間である天皇、人間である三笠宮に親愛感をもつことに馴れて来た。皇太子が、唯一の御馳走は、カレーライスだと思っているということについて、
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