ことに添って、またふたたび、より悲惨な戦争が導き出されるような条件を存在させてはならない。戦争の惨禍にさらされた地球のすべての国の人民は、人民こそ、戦争の犠牲であることを、まざまざと知っている。それ故に人民こそ、世界の人民の平和のために努力し奮闘するに価する事実を知って行動しているのである。十数億の人々が平和のために立っている。原子兵器を禁止し、それを最初に使用した権力を、人類に対する戦犯とすべきであるというストックホルムの平和大会アッピールは最近、益々そのアッピールの切実さが証明されつつある。日本でさえ六百万に近い署名をあつめた。そして、資本主義国としては、第三位を占めている。
戦争。――この二字が意味する人民生活への破壊力の大きさ。人民の生活は、燃える空と轟き裂ける大地の間に殲滅される。戦争は、人民にとって直接生命の問題である。命あっての物種、というその命をじかに脅かされることであるから、生命保存のために、人々の全努力が、瞬間の命を守るたたかいに集注される。
絶え間なく戦争の危険がふりまかれ、人々の心に不安が巣くっていれば、戦争の恐怖がどういうものであるかを経験している国々の人民は、自分たちの日々の建設に、確固とした永続性を見出しにくい動揺した心理で暮すことになる。この生活も、いつどうなるかわからないという場合、大部分のひとの心もちは目先の平安にあざむかれやすくなる。刹那の快楽にも溺れやすい。そして、それらの平安や快楽は、常に人間の官能の面に触れたものである。理性をしびらせ、ストリップ・ショウについて獅子文六が書いているとおり、何も彼にも忘れさせる、そのようなデカダンスが、社会にはびこる。そのような雰囲気の中で、人間らしい男女の愛の営みが、どういう風に破壊されるか。きょうはそれについて考えていない人はない。
戦争を恐怖し嫌悪するわたしたちは、その戦争をなくするためにこそたたかわなければならない。その自明な判断は、一定の行動を必要とするし、組織を必要とするし、当然、戦争を挑発するものとの摩擦に抵抗しなければならない。どうせ、また、と戦争の恐怖に理性をしびれさせられて、戦争とのたたかいを放棄してしまったとしたら、第二次大戦後のきょうの世界で、われわれが生きている、というそもそもの理由がどこに在るだろう。殺されるまで、ただ生きている――そんな人間の存在が、あり
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