れて野蛮な用語の一つである「アカ」のやからだけであるという偏見が流布されるようになりはじめているのは、どういう理由だろう。アカという言葉を、戦争中の日本軍事権力は人民を裏切る国賊という意味でつかわせた。そして、侵略戦争に反対する良心の声を抹殺したのであった。その結果は、どうだったろうか。

 第二次大戦後、世界が平和運動を最も重大な歴史の課題として、そのために国際的な組織をもち、世界各国のまじめな、能力ある人々が、それぞれの国の中で熱心に活動をつづけているのには、現代の世紀の当然な理由がある。
 第一次ヨーロッパ大戦、そして第二次ヨーロッパ大戦。二つの大戦は、その一つごとに戦争の被害を拡大させて来た。第二次大戦では、アフリカの住民までも飛行機と爆弾をしらされた。現代の科学力は、それが国際的な軍需生産者の独占資本に使役されるとき、戦争行為におかれた国々の軍事的拠点に、想像できないほど巨大な破壊力を加えるばかりでなく、その周辺の全く無罪な人民の生命を、老若の差別なくみな殺しにする。この事実はナガサキとヒロシマによって経験されている。戦争と軍需生産者の独占資本の関係は、資本主義の社会悪として、全人類的犯罪の可能にまで膨脹して来た。誰でも知るように、資本主義社会での政治的方向は独占資本の欲する方向と反対ではあり得ない。資本主義の国々での政治はもとより人民の手にないし、政治家の手にあるのでもない。政治資金を提供する独占資本の力、その力こそ軍隊を持つ国家権力として自身を表現している。第二次大戦の過程そのもののうちに、世界の民主勢力が、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリー、日本をうち破った。その過程に、すでに世界の一部に片よってたまった巨大な資本そのものの欲望の矛盾がきざしていた。
 第二次大戦ののちにつづいておこった熱心な世界の平和運動は、ただ戦争は野蛮である、それはなくさなければならないという宗教的な道徳的な人類の良心の上に立っているばかりではない。世界の社会秩序は、新しい観念の上に建設されなければならないという展望に立っているのである。人類の理性と意志とは、様々な架空の名目、美名で人民同士が互に殺戮しあうような偽瞞の誇りや愛国心にまどわされていてはならない。戦争で底の底までの被害をうけたのは、どこの国でも、人民男女とその子供たちであった。その損害から恢復するための援助という
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