戦争とは何であったろうか。それは、生かすことであったか、殺すことであったか。日本から赤紙一枚で前線に送られた兵士たちは、平和な日常生活の習慣から切りはなされ、国家の権力で殺すことを命じられ、その方法を教えられ、人を殺すことについて人間の当然感じる恐怖心を麻痺させる訓練を日夜つまされた。東京裁判の記事を見ても、信じられないほど、殺すための殺人がおこなわれ、ハッキリした理由とか、憎悪とかいうものなしにさえも、人間を片づける心理がやしなわれたことがわかる。
 戦争がおわり、それらの人々は生きのこってかえって来た。生活の安定がどこにも保証されていないで、便利な生活方法といえば、たとえそれがどんな金であろうとも、新円を持つことが便利であり、どうして手に入れたものであろうとも、ヤミの交換価値の高いものを持つことが便利であるとき、ある種の人々が何年間かそれでもってやしなわれてきた鬼のような方法で所有者から物を引きはなし、日本の法律がそれを肯定している所有の権利を抹殺してしまおうということは、非人間的なもののかんがえ方、生き方の習慣からみちびき出されるかもしれない。
 大局からこう考えてくると、
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