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なんかと半分ひやかしの様な調子に云った。不愉快な気持をこらえこらえして家にかえると茶の間ではHの笑い声がして居た。思いがけない事の様に千世子は母親にあいさつをしてからHのかおを見た。
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「奥さんもとめて下さる――晩までとおっしゃるからどうせ今日はひまなんだからそうする事にきめたんです」
「だれでもがよろこぶ事ってすワ」
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千世子はあんまり芝居めいた言葉だと自分でおかしくなってうす笑をした。
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「一寸マア、この頃やたらに露国の脚本によみふけって居るんでまるで科白みたいな事を云う事があるんですヨ、面白うござんす家で芝居のただみが出来るんですもの……」
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千世子は小さな子供のする様に一寸くびをまげてHを見て笑った。
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「マア、ようござんすヨ、毎日を芝居にして暮していつまでも居られやしないんですものネエ」
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Hはこんな事を云いながら遠いところに去ってしまったものをおっかける様な目つきをした。
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「夕飯にはお父さまもめずらしくお家だから御馳走しましょうネエ」
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母親はこんな事を云って行くまもなく台所の方から、
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「八百屋に電話をかけてネエ、アアそうだよ、三枝はまだかえ? じゃあついでにさいそくしとくといいね、ジャガイモは二十位でいいんだよ」
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と云って居るのがきこえた。
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「奥さまっていやなもんですわネエ、毎日毎日ろくに本もよめないでしごとをしたり女中に命じたり小供達のけんかの仲裁をしたりしてばかり暮してしまうんですものネエ」
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母親のこえをじっとききながら独りごとの様に云った。
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「もっと年をとれば気が変りますよ!」
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Hは雑誌を見ながら、
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「いくらいやでも女は独立しにくいもんですからネエ」
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こんな事も云った。
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「私は男と一緒に居なくったって生活は出来ると思いますワ。男が我ままでかんしゃくを起すのをジッときいて居なくっちゃあならなかったり、大きなみっともない御腹になって利口でもない子供をうじゃ生んで見たり……オオいやな事」
「そいじゃあ若し貴方がこんな人なら一生いっしょに居てもいいと云う様な人が出来たらどうします?」
「そうしたら私はキットその人と約束して死ぬまで別に生活して居るでしょうよ、そいで、会いたい時に会い話したい時にはなしてお互に金銭の事なんか云わないで居た方が私はいいと思います。子供なんか生まないでネエ、馬鹿な子供なんか生んで心配したりするより一代こっきりの方がようござんすよ!」
「それもそうかもしれないけど……貴方みたいに男の兄弟のある人はいいけれ共そうでない人はこまるじゃあありませんか……」
「そんな事大丈夫ですわ、世の中の沢山の女の百人中九十九人半まではお嫁に行きたい行きたいで居るんですもの」
「九十九人半とは? 妙な」
「半分はお嫁に行きたいし半分はお嫁に行っても下らないと思う人があるだろうから……」
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こんな事を云って二人は何だか自分達のまぢかにさしせまって来て居る事の様なかおをして居た。
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「貴方はそいじゃあ良人にかしずく事の出来ない人間だと自分できめて居るんですか?」
「そうじゃあありませんわ、割合に女よりは入りこんで居ない感情をもった男なんかそんなに私がやきもきしなくったってプリプリさせる様な事はしやしませんワ、でも私はお嫁に行った翌日からきのうまでのかおとはまるで別なかおをして何にも思う事のない様に旦那のきげんとりにばっかりアくせくしてるんなんかって私にゃあ出来ない事ってすワ、旦那が我ままを云って怒りゃあツンとしたかおをしてとりあってもやらないでしょうキット、馬鹿な人だと思ってネエ」
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千世子はどんな長い時間が立っても今云った事は変りゃあしないと云う様にハキハキした口調に云った。
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「そう云う気持をもって居るんですかネエ」
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Hはしんみりと云って何か考える様な目つきをしてジっと千世子の眉のあたりを見て居た。
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「私は男にははなれて生活する事が出来るけれ共本とペンとはなれる事は出来ない女なんですもん。やたらに御嫁に行きたがる女の中に私みたいな女も神さまがなぐさみに御造りになったんです、人並はずれの我ままものなんですわねえきっと……」
「……
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