おごった心持となりをして見たり、又今の様にいかにも若い女らしいしなやかなこまっかい曲線をつくる身ぶりをする事等は千世子のくせの一つであった。
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「あの人はあしたはあの部屋で製図をすると云うし、私はあのつづきを書けば好い。阿母さんは縫物と謡と本をよめば事がすむし、父様は事務所に行って……。お茶時には牛乳のお菓子を作ってあついコーヒーと一緒にHにあげよう」
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 千世子は子供らしいつみのないうきうきした気持で明日《あした》自分のする事、Hのする事、母親のする事等を考えて、Hが製図台の上の白い紙に快い音をたてて線をひく、その傍に大理石のテーブルの上にバラの生けてあるわきで自分の心からしみ出して来るしまった感情を字にして行く、その時のかおつきからさしこむ光線の色までを空に描いた。夜いっぱりでとびぬけて朝ねぼうの千世子は今夜にかぎって早くうす明るくなって来れば好い、こんなうれしい気持で迎えるあしたと云うものが早くその目を見開いてほしいと思ってはでな模様のあるカーテンを引いた。
 目さめかけた小供のまぶたの様にぼんやりとあかるんで居る外の景色は、寝坊な千世子の今までにあんまり経験した事のない優しさと考えぶかさと気高さをもって居るものだった。霊気にふれた様に、偉大なものを頭の中につきこまれて居る様に千世子は外の景色を見入って居た。今までめったに見た事のない壮厳な背景の前に千世子の頭にたえず描かれて居るニムフやサチルズがかるい足どりで木の葉かげから出て来ては舞うのが見られた。アポローの銀の絃の澄んだ響に、ふかさの知れない谷底になる沈鐘の鐘がまじって美くしい音楽となり、山の*さん郎らの金の櫛で梳りながらの歌声、そうした、いかにも想像で出来あがった美くしいおだやかな幻影の絵巻物が千世子の前にひろがった。
 涙をポロポロこぼしながら千世子はひざまずいた、嬉しさは潮の様に波立っておしよせて来る。
 神秘的な暁の色の中に体をひたしてつっぷして目に見えないものを感謝し讚美した。ジいと上を見ながら千世子は立ち上った。
 よろこびと云いしれぬ胸のときめきにかすかにふるえる体をうす桃色の房の長い寝間着とまっしろにシックリした毛足袋につつんで長くとかした髪をくびに巻いて青磁の燭台に灯をつけた、部屋の出口を銀に光る鍵であけることも廊下に木のかげのさして居るのも
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