してHを見た。白い指は顔を被ってまっくろいしなやかな髪はやさしくふるえて居た。
 Hの髪のふるえと同じ様に千世子の心もふるえて居た。
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「Hさん、そんなになさらないでネ、男の人がそんなにまでする事じゃあないでしょう、ネ私は変な気持になってしまいますワ……」
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 千世子はそうっとHの頭をかかえて居た。ジッとして居る千世子の頭の中には源さんの様子、信夫の手紙、そうしたものが並んで横ぎって行った。
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「アアいやだいやだ、私はそんな事に一々顔を赤めたり、涙ぐんだりするほど初心な気持はもってもしないのに――どっかへ行っちまえば一番いいんだ、私の知らない人の居るところに行けば、行ったところで世の中のうちならやっぱり同じ浮世なりけりなんだ――アアア私はほんとうに――」
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 千世子は皆をつきとばしてどっかへ行ってしまいたくなった。
 声をあげて泣きたいほど、千世子は何とも云われない気持になって居た。
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「何故Hさんはこのまんま動きもしない食べもねもしない美術品になって居なかったんだろう。
 若しそうなって居て呉れたら私は夢中になって恋をする事が出来たかもしれないのに、――」
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 フッと千世子はそんな事さえ思った。
 夜の十時すぎまで居て、
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「左様なら――いい夢を御らんなさい」
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と云ってかえって行ったHはいかにも悲しい事のある様にうつむいて暗い道をたどって行くのが千世子をにわかに弱い気持にさせてしまった。
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「私達はどうしていいんだかわからなくなって来る」
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 千世子は小さくつぶやいてその晩はろくにねないでしまった。
 それからあとも、Hと二人きりで居る時母親がガラス戸に耳をつけて話をきいて居る事の度々あるのを千世子は知って居た。Hも知って居た。そうした時に二人はかるく淋しい様な口元をして笑い合った。
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「取りこし苦労をしていらっしゃるんだ!」
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 こんな事を話の間にはさんだ事もあった。
 千世子は何にもする事のない時ジッと考えに沈んだ時なんかに、
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「私をとりまいて居る三人の人の中で私
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