そっぽを見て足拍子をとってわけもない短い歌をくり返して居た。
 二人の間に短い時が長く沈黙の間に立って行った。
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「貴方怒った?」
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 Hはふり向いて唇のあたりにうす笑をたたえて調子をとって居る千世子を見た。
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「いいえなんいも――」
「そんならもっとこっちにいらっしゃいな、そうして何か話して下さいナ」
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 Hの声はまるですがりつく様に千世子の耳の中を伝わって行った。
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「何話しましょうネエ」
「何でも貴方の話したい事」
「一寸わかりませんワ私の今さしあたって話したい事なんて――」
「そいじゃあ私に云わして下さいネいいでしょう」
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 Hは身体をゆすって深い息をついてそうして話し出した。
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「私はネエ千世子さん、こないだ沼津に行った時にもかえってからもそこいら中から嫁を世話して呉れる人があります、でも私は一つ一つ思いきりよくことわって一度でも残念だったとか情ないとか思った事がないんです。それは、――エエ私は天の神様が特別に私の愛して好い人として作って下さった女が私の前に現われるまで私はまって居るんです。私はその人の現われるって云うのを信じて居ますもの、そうしてその人が出来るだけ早く私の目の前に立って呉れる様に願って居るんです……」
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 前よりも一層い[#「層い」に「(ママ)」の注記]そうして真面目な溜息をついた。
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「そう貴方はまっていらっしゃる?
 エエほんとうにそうですワ、神様はキットそう云う人を作って下さるでしょう。
 でもそう云う尊いものは中々、ぞうさもなく現われる筈はありませんでしょう?
 でももし現われた時には嬉しいでしょうネエ、この頃の世の中はその換りにサタンが特別に男のために作った様な女やそれと同じ男も居ますもんネエ」
「そうですか……」
「ネエ、Hさん、そう御思いにならない? 私が貴方に始めて御目にかかった時から今までもう一年ですワ、そいでその間に随分変った事もありましたワネエ。私の身丈の育った事、一寸ちょんびり利口になった事、いろんなものを書いたり読んだりした事なんか、私の頭だけ年に二つ位ずつ年をとって行ってしまいます、じょうだんじゃあなく」

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