居た方がよかった様にも思われます。同じ宿にとまって居る人達を観察するでもなし、割合に無駄な時間を多く費したんですものネエ」
「それがいいんですよ。だからごらんなさい、顔だって赤くなって居るし目だって丈夫そうになって居ますよ」
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 Hさんは熱心に千世子の顔を見つめながら云った。千世子はHさんと源さんの手を自分の両手にもって肩位までの高さにあげたり下げたりして居た。意味もなくこんな事をしてはしゃぐほど千世子はゆとりのある心になって居た。
 その翌々日から千世子は学校に行った。どの教師も又どの友達も、
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「マア、貴方いらしったの」
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とか、
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「マア久しぶりですネエよく来ました」
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とか云われた。
 そうしてその日っから毎日毎日元気らしく、時には寝不足な青い顔もしながら学校に通って居た。
 Hは一日おき位にはキッと来た。六時すぎ頃から来て更けるまで話すと云う事はここの家の習慣の様になってしまった。
 Hの来た時はいつも十一時半にかえって行くのがきまりだった、その十一時半を家の人達は定刻と云って居た。千世子が小田原から帰ってから五ヵ月の時はかなり早く大した変った事も生まないで立って行った。
 その間にHと千世子の一家は一緒に江の島に遊びに行ったり、たまには芝居を見に行ったり音楽をききに行ったりした。そのたんびにHと千世子と又その囲りの人達はうちとけて行った。いろいろなこみ入った経済の事までHは母親に相談するほどになった。
 Hがたびたび来る毎に二人っきりで居る事も多くなった。けれ共千世子はそんな事を別によろこびもしなければ又いやにも思わなかった。ただあたり前の事と思って居た。
 菊の花が盛りになったホカホカな日に母親は千世子にそれとなしこんな事を云った。
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「女って云うものはネエ、ほんとうに下らない事にまで気をつかわなくっちゃあならないんだから……、それに又御前位の年頃の人は余計にいろいろ人から云われなくっちゃあならないんだからほんとうに何から何までつつしまなくっちゃあいけないよ、口さがない女中や何かからあれこれと云われたりなんか必[#「必」に「(ママ)」の注記]してしない様にネエ。
 だからHさんが来た時でも何でもあんまりしゃべったりふ
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