は皆千世子にはうれしく思われたり見えたりする事柄だった。
電車からの十五六丁の道も歩いて初めて自分の生れた家の柱を見た時とびついて頬ずりしたいほどなつかしい光をもって居た。
さぞ汚れて居るだろうと思ってあけた自分の部屋には額がかけかえてあって机の上には新らしい雑誌が二冊ちゃんとならんで、赤茶色の素焼の鉢にはうす赤のふるえる様な花が千世子の方にその面をむけて笑いながら首をかたむけて居た。
ピアノのキイを小指でつっついて見たり、本をパラパラとくって見たり皆とじょうだん口をきいたり、外のすっかりくらくなってしまうまで千世子はジッと座って居る事さえ出来ないほどだった。
留守をして居た弟達はうれしがって居る自分達の姉の体を胴上げにしないばっかりにその小さい子供と一緒にかこんで鬨をあげる様に笑いながら一っかたまりになって家の中をめぐって歩いた。
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「ほんとうにいい時御かえりでしたネエ、あしたは日曜で今夜は更かすことも出来るし……」
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一緒に来たHさんと源さんは皆の愉快らしいかおを見てほほ笑みながらこんな事を云った。
御飯がすんでから皆丸く座った時千世子は立ち上って一人一人に、
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「貴方は色がくろくなった」
「貴方は手が大きくなった様だ」
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なんかと云いながらその顔や体をつくづくとながめてまわった。
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「アア、お父様御はげがちょんびり育った」
「オヤ、正ちゃん貴方は――」
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云われる人もうれしそうにして居た。Hさんの前に来た時、
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「先の中と一寸も御変りにならないんでしょう」と云ったきりとなりの源さんの前では、
「勉強がすぎて私の二代目になりかかってらっしゃる様だ!」
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なんかと云って自分の事等はすっかり忘れてしまった様な気持で居た。
父親は風呂に母親は小供の世話に三人きりになった千世子は小さなふくみ声でこんな事を云った。
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「この頃の海辺って神経質な人が長く居たら気違いになってしまいそうにまでしずかで、こい光った色と香いをもっているもんです事ねえ」
「マアほんとうにかえりたくなった事が有ります、心が二つに分れた様になってネエ」
「今になると家の中にジッとして
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