っぷりなんさ」
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と云ったりして居た。
 そんな事にはもうなれて居る様にうつむきもしないで正面を見て歩いてどこまでも行った。すれ違う男達が一足か二足ぐらいひろくよけて通る事も千世子には、
「フフフフ」と笑いたい様な事だった。
 ひろい店にずっと入るとすぐ大胆な目つきをして棚の上から台の上までの本を一通りズーと見廻す様子を、帳場に座って居た番頭は目を大きくしながら、
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「入らっしゃいませ、どうぞ御ゆっくりと……」
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 とちった様な口っぷりをして居た。
 その日は「その前夜」と「お絹」を買って帰った。
「東京より本が高い、ろくなものもないくせに」こんな事を道々考えて居た。
 晩はまっくろい海が目の下に見えるベランダに出てあかるい電気の下で買って来た本をよみ始めた。
 けれ共何となく囲りの気分とよんで居る本とがつり合わない様に思われてしかたがなかった千世子はわざわざサロメをとりかえてもって来た。
 そうして電気を消した暗い中に自分の鼓動と海の鼓動とくだける波の白さと自分の顔の白さばかりがある中で、低い厳かな声で暗く強い鼓動を打って居る海の面に千世子は、Roll on, thou deep and dark blue Ocean―roll! と尊い詩の一節をなげてはてしもしれない様な冥想にふけって居た。
 綺麗な夢の様な気持がさわがしい管絃の音に破られて現実にかえった時、そのごく早い気持の別れ目の時に千世子はHの事が青い光りものになって目の前をよぎって行ったのを知った。
 さわがしい音の中に自分のしずかな心だけをソーッとかこって置く様にして働く事も嬉しがる事も一人でして居なければならないHを一人の人間として考えて居た。いろいろと思って居るうちにいつだか、
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「私は形式は沢山の人達の中にかこまれて生活して居るけれ共それは皆私からはなれると生きて居られない人間達が死にもの狂いでかじりついて居るのにすぎないですもの――精神的に私は嬉しい時でもかなしい時でも All alone で居なくっちゃあならない……」
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と云った時に、
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「不愉快な気の合わない二つの精神がいやでも応でもに集って居るよりは、わだかまりなく思いたい事を思える一人の方がいいじゃ
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