げ]
「マアどうもありがとう、――ほんとうに何よりですワ、先から云ってたんですものネエ、これ貴方の?」
「エエ、去年だか買ったんでした、一通りよめば専門にして居るんじゃあないんだからどうでもと思ってつくねて置いたものだから……線や点がうってあるかもしれませんけどマアかんべんしっこですよ」
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Hがこんな事を云って居る時列車は動き出した。
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「ジャさようなら、御大切に――」
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Hはこう云って帽子をとった。
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「わざわざおそれ入りましたなア」
「ほんとうにネエ、どうも」
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両親はこんな事を云ってまだ速力のにぶい列車について歩いて居るHに礼を云って居る間、千世子はHの目ばかりを忘れまいとする様に見て居た。
一寸速力が速くなった時千世子はズーッと体をのり出して、
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「ありがとう――さようなら」
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と大きなこえで云って立って帽子をふって居るHを見えるだけ見て頭をひっこめた時いかにも旅に出る様な気持になった。
すみっこに体をおしつけてHからもらった本をわけもなくくって見た。まんなか頃にHが満州を旅行した時に蒙古の羊の群が川の家鴨をおって居るのをとった写真が入って居た。いつだったか病気で居た頃見せてくれた時、「いい事、いかにもお互のものの感じが出てますネエ」って云ったのを覚えて居てだろうかと思って見たりした。五つ六つステーションを通りすぎてから母親がこんな事を千世子に云った。
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「お前は何となくつかれたらしいネエ、少し景色を見るか眠るかするといいだろう」
「そうした方がいいよ、青いよ」
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父親までこんな事を云って居るのが千世子は自分の心のそこまでみとおされた様なつまらない気持になった。千世子はお義理の様に目をつぶって母親のかたにもたれかかった。
フカフカの肩にもたれかかって単純な様で意味のある様なカタカタと云う音を耳のそこできいて居る内に少し眠のたらなかった千世子は包まれる様になっていつの間にかフンワリと夢の中にとけ込んでしまった。
一人手にまたいい気持になって目をさました時もう四つばかりで国府津につくところまできて居た。
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「よくねて居た
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