がら、こんないい気候になっても青っしょびれて居る自分の体を周りから段々おしつけられる様に感じて居た。
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「Hが来ればいいのに、――私があっちに行ったまんま死んだらどうするんだろう」
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 千世子は訳もなくこんな事を独言した。
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「私もしあの人の恋人だったら一寸の間でも走って行って会って行くんだろう」
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 こんな事も思った。
 思ってる様な思わない様なとりとめもない様子をして居るといきなり人の足音がしたんであわててふりっかえると後にHが目つめたかおをして立って居た。
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「マア」
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 千世子はもう少しでHにとびつきそうにした。こんな事を思って居た時こんなかおをして居た時Hに来られたと云う事はたまらなく嬉しい事だった。
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「マア、一寸も知らなかった、いつ? ほんとうにマア」
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 こんな事を云って千世子は嬉しい時によくするくせの両手で頬を押えながらHの衿の合せ目を見て居た。
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「そんなにおどろいたんですか? 何の気なしによったら午後からお立ちだってネエ、今日は気分が少しようござんすか?」
「エエ好いにゃあいいんですけど、きのうっから何とはなしに興奮して居るんでかるい目まいが一寸する事がある位、――それに一寸気にして居る事があったんで……」
「何、気にしてる事? まさか日が悪いなんてんじゃあありますまい」
「なんぼなんだって――マアこうなんですの。私がネ、貴方に御目にかからずに今日たってあっちに行っちまいましょう、そうして急に悪くなったっきりになっちゃったり大浪にさらわれてしまったりするときっとどんなにか悲しいだろうと、それに私若しかすると死ぬ時に、
『Hさーん』
 て云いやしないかって……」
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 千世子はそう云って笑った。
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「マア、そんな――でもマアようござんしたネエ、私が手紙あげたらあんたも下さる? ネ」
「そんな事分るもんですか、それにかくれてなんかかいてもしようがありませんし御義理に書くのも私はすきでないんですもの……」
「そんならなるたけ、ね? これからの海辺はようござんすネエ、静かで……あんまりいろんなものを書いたり
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