きっから読みかけて居た形の小さな小奇麗な本をひざにのっけて居た千世子は、
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お読みんなりましたか。
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と云ってその本の背の方を向けた。
千世子は肇の話の工合で自分の読んで居る物位は肇も読んで居るに違いないとあてをつけて居たのでそんな思い切った事をした。
肇は小さくうなずいた、そして驚いた様な口調で、
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沢山そんなものを読んでいらっしゃるんですか?
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ときいた。
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「ええ
どうして」
「何故でもないんですが。
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肇は又じいっと考え込む様な様子をした。
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「貴方だって私と同じ様に読んだり書いたりしていらっしゃる。
そいだのに読んだものの話なんか何故一度もなすった事がないんでしょう。
遠慮していらっしゃったんですか。
「そう云うわけじゃあありませんけど。
貴方なんかがそう読んでなんかいらっしゃるまいと思って居たんです。
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咲いた花の様な顔つきをして肇はそれから急にいろいろの事を話した。
千世子の知らない事も知って居た。
一つ処を見つめて低い声で話されるのはいかにも快く千世子の耳に響いた。
尊い悲しみと云う事について死ぬと云う事について顔のほてるのを自分で千世子が感じたほど話したのはこれまでには例のない事だった。
物事に感じ易い涙もろい気持を持って居る肇の一事一事が又感じ易い千世子の頭の裡に一つ一つとのこって行った。
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「今日までは何を話して好いのか見当《けんとう》がつかないで困っていたけれども」などと肇は云ったりした。
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「死」と云う事に対して肇の持って居る考えが誰でも若い者の持って居るのと同じだと云う事や極く哲学じみた考えですべての事に対して居る事をその日になって始めて千世子は知った。
何かを抱えて居るらしい人だと云う感じがその時に限ってふだんの倍も倍も強く千世子の頭に湧き上った。
淋しい影の裡に喜びのこもって居るらしい、黒の裡に紅の模様のある、おぼろ月の夜の影坊子《かげぼうし》の様な人だと千世子は先から思って居たのだ。
近づき難《にく》くて近づき易いと云う事が肇の大変徳な性質になって会う人毎に自分を高く保つ事
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