切にした。椿の花の下でしきりに羽虫を取りっこして居る二つの白いかたまりを見ながら日あたりのいい南の縁に足を投げ出して千世子は安っぽい――それでも絹の袢衿をやりながら云った。
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お前がねえ、
鳩によくしてお呉れだからあげるんだよ、
だから若しひどくすれば取り返してしまう。
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小娘の様な顔をして人のいい様子をして居る気むらな我ままな若い女主人の様子を女中は嬉しさと馬鹿にした気持が半々になった心で見ながら心の底の底では、今呉れた衿と今千世子の掛けて居るのとをくらべて居た。
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鳩が来たんで御機嫌が取りよくなったって云って居たっけ。
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ちょくちょく来る京子が笑いながらそんな事を云ったのも此の頃であった。
鳩を小屋に入れる頃から小雨が降り出して夜に入ってもやまなかった。
夕飯をすまして歌をうたって居た時京子の声がしきりに、
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「一寸一寸、ここまで来て御覧なさいよ。
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と云って居るのをききつけた。
千世子はつま先でとぶ様にして入口に行って障子を荒っぽくあけると思わず千世子は声をあげた。
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「まあどうしたって云うんだろう。
「何故? 珍らしいでしょう。
そうやってパサパサな分髪にして居る貴方のわきに私が座ったらさぞ面白いだろう――
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京子はこんな事を云った。
縁を緑色に塗った足駄をはいて蛇の目を手にもって京子は青い瓦斯の下に立って居る。
紫の様に見える濃い髪は形のいい島田に結ばれて長目な顔にほど良い美くしさをそえて居る。
お召のあらい縞の着物に縮緬のうすい羽織をようやっと止まって居る様に着て背が高い帯の形をコンモリと浮き出させていつもよりは倍も倍も美くしくすなおらしくすべての様子をととのわせて居た。
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「わざわざこんななりをしたんです。
お召の着物の様な気持のする雨ですもん。
それにあのいやな仕事もすんだんでねえ。
「まあ、何んしろお上んなさいよ。
さっきね、
あの女と一寸気まずい事があったんですよ。
それで少しくさくさしてたんだから、
さあ、お上んなさいってばね。
上らないの?
よっぽど立姿でもいいって云われたと見える。
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千世子は京子を引っぱる様にして書斎に通した。
ほんとうにがんなりした様な顔をして口をきくんでも京子はのろのろとした。
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何か一つ事をするとほんとうにうんざりしますねえ、
昨日と今日は只もう空ばっかり見てるんですよ。
皿にゃあといた絵具がこびりついたまんまだし、筆はこちこちになったまんまで――
このまんま当分遊ぶときめた。
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千世子によっかかりながら云う。
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何故、そんなに甘ったれるんだろう、
大きななりをしてながら、
私より貴方は随分かさばって居るもの。
でも今日はいつもよりよっぽど奇麗に見えてますよ、気持がいい着物の色が――
それにね、
貴方みたいな人は黒っぽいものが一番似合う。
横縞は着るもんじゃあないんですよ、
大抵の時は横っぴろがりに見えるから。
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母親の様にしげしげと京子のなりを見た。
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貴方新ダイヤのついたものなんかするもんじゃあない。
私は大っきらい、
何だか変に山師じみてさ。
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こんな事も千世子は云った。
二人は心から仲の良い様によっかかり合いながらとりとめもない事をぼそぼそと話した。
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「これから毎日貴方は描く絵を持って来私もしたい事をして一日中一緒に居ようじゃあありませんか、
きっといいでしょうよ。
ね? ほんとうにそうしようじゃあありませんか。
「そうねえ。
「そうしましょうよ。
「私も先にそう思った事もあったけど、
あしたっからほんとうに――
目先が変ってようござんしょうねえ。
だけど私の道具を抱えて来るのは随分大変だ。
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京子は真面目にそんな事を云った。
二人は芝居の話、此の頃の「流行《はやり》」の話をあれから此れへと話しつづけだ。
京子は市村座の様な芝居がすきだと云って、
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ねえまあ考えて御覧なさい、
丸の内にはない花道がありますよ。
いきななりをした男衆が幕を引いて行く時の気持、提灯のならんだ緋の棧敷に白い顔のお酌も見られますよ。
どんなに芝居特有の気持がみなぎって居るか――貴方なんかにわかるもんですか。
私みたいに珊瑚の粉や瑪瑙のまぼしい様な色をお友達にして居る人間はやっぱりその方がすきですよ。
そして又その方がする仕事につり合った気持だもの。
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こんな事を云いながら美くしい濃い芸を見せると云って京子は散々に松蔦をほめちぎった。
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そんなに?
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千世子は気のない様な調子に聞いて居た。
つめたい御茶をのみながら二人はだまっててんでんに別々な方を見て居た。
何とはなしもの足りない気持が千世子の体中にみなぎって居た。
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「一寸居ますか?
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暗い外から誰かが声をかけた。
千世子は口の辺にうす笑をうかべて目を上の方に向けて耳をすます様に云った。
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「誰?
「私ですよ。
千世子は手早く着物の衿をなおした。そして、
「お入んなさい。
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と云いながら京子を見て、
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「かまわない人ですよ、何んにも、
そうやっていらっしゃいよ。
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と云う。
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「あー今日はね、新らしい人をつれて来たんです、
会って下さるでしょう。
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外にたったまんま篤は云って扉を細目にあけた。
京子の方を見てポックリ頭を下げて千世子の方に目を向けてたしかめる様にも一度、
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「ねいいでしょう。
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と云った。
千世子はだまってがっくんをした。
京子は間のわるそうないかにも世なれない様子をして、
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なぜ別な部屋にしないの、
会った事もない人ん中に私は居るのがいやだもの。
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鼻声でこんな事を云った。
千世子が何にも返事をしないで居るうちに入口に二つの黒い顔が重って見えた。
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お入んなさいよ。
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わだかまりのない声で千世子は云った。
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君! お入りよ。
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篤はも一人の肩を押て扉を開けたまま千世子のわきに行った。
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いらっしゃいまし。
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千世子は新らしい客を見て云って篤の方に目を向けて、
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どなた?
何ておっしゃる方?
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ときいた。
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「あの――笹原の肇《はじめ》って云うんです。
早稲田だねえ、君!
小さい時っからの仲よしなんですよ。
「まあ、そんなら今までお目に掛らなかったのが不思議な位ですねえ。
ああそれから、
貴方こっちへいらっしゃいよ。
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千世子は京子をまねきながら、
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この方はね、私がもう随分長い間つきあってる人で山科のお京さんて云う――
絵をやってます今。
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ごく簡短な紹介めいた事をすると四人は丸くなって腰をかけた。
京子は千世子のそばにぴったりとよって笹原って云う人は篤の傍をはなれまいとして居た。
四人の間には破る事の出来ない「初めて会った人」と云うへだてが出来てどうしても千世子と篤ばかりの話になり勝になった。
「のけもの」と云ういまわしい感じをさけるために千世子はだれにでも話しかけた。
何と云うまとまりもないありふれた世間話が四人の間を走りまわって白けかかる空気を取りもどすために、篤は下らない自分の日常の事についてまで話した。
肇は無口な男だった。
小さくってあつい様な輝のある目と赤い小さい唇と、やせて背の高い体をして居た。
話をきいては微笑んだりしかめたりして居る様子は何となし気障な様でありながら不愉快な感じは与えなかった。茶色っぽい絣の袷に黒い衿を重ねて小倉の袴の上から同じ羽織をかっつけた様にはおって居た。
千世子は笑いながら云った。
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「貴方は無口な方でいらっしゃるんですねえ。
「ええ、兄弟もなし祖母のそばでばかり一人で居ましたから一人手に斯うなったんです。
でもしゃべる事だってないじゃあありません。
「ほんとうに無口同志の寄合なんですよ。
私達はせわしい中を大さわぎして会っても野原なんかに出かけて行ってよっかかりっこをしながら空を見て居て二言三言話したっきりで別れちゃう事だってあるんです。
でも妙なもんでそれでも満足するんです、
お互に。
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篤はこんな事を云いながら肇の袴の紐をひっぱって居た。
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ほんとうの仲よしになれればだれだってそうでしょうよ。
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親友を持たない千世子は二人の兄弟の様な様子を面白そうに見て居た。
女中の持って来たチョコレートと紅茶を千世子は立って自分で配りながら、
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おきらいじゃあないでしょう?
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笑いながらクリクリに刈った肇の頭の地の白く見えるのを上から見ながら云った。
「この人はねえ、チョコレートのそこぬけなんですよ。
先にねえ、『海の夫人』だか何だったかの時に喰べたのたべないのって――
そのあげくが喉はいらいらする夜は眠られないって夜中の二時頃わざわざ手紙なんか書いて私の所へよこしたんですよ。」
篤はいつもになくこんな事を云った。
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「そんなに云うもんじゃあないよ。
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少し上っかわのかすれた様な細い丸い声であった。
笑う時少しのぞいた歯は寒くなるほど白い。
そして大変小粒にそろって居た。
京子は「云いたい事も云えないから」と云う様な顔をして、
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私ももう帰らなけりゃあ、
本石町の伯父が来て居るんですから。
また上ります、失礼致しました。
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千世子の何とも云いもしないうちに暗誦する様にスラスラっとのべて出て行きそうにした。
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一寸御免なさい。
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あわただしく千世子は立ちあがって京子の後をついて入口に行った。
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またいらっしゃい、
あしたでもね!
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京子の衿をなおしてやりながら云った。
外へ出て一寸空を見て、
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上りましたよすっかり。
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京子は透る声で云ったまんまカタカタと敷石を丹念に踏む音がかなり長い間響いて居た。
書斎に入った時二人は何か低く話して笑って居た。
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ねえ私今もそう思ったんですよ
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〔以下、原稿用紙一枚分欠〕
色が眼についた。
そんなに大きくない眼が神経的な色で云えば青味を帯びて輝いて居るのも見た。
そして少しうつむき勝にして上眼で人を見て話すくせのあるのをも知った。
肇は見るともなしに千世子の眼のあたりを見つめて居た。
篤の方を向いてしきりに何か話した。千世子はチラッと肇の方を見て、
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墨がついてますか?
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と云って笑っ
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