千世子(三)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)誰《だ》あれも

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)(例)十五分|許《ばかり》してから

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)(一)[#「(一)」は縦中横]
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   (一)[#「(一)」は縦中横]

 千世子は大変疲れて居た。
 水の様な色に暮れて行く春の黄昏の柔い空気の中にしっとりとひたって薄黄な蛾がハタハタと躰の囲りを円く舞うのや小さい樫の森に住む夫婦の「虫」が空をかすめて飛ぶのを見る事はいかにも快い身内の疲れを忘れさせて呉れる事だった。
 あきる時を知らない様に千世子は自分の手足とチラッと見える鼻柱が大変白く見えるのを嬉しい様に思いながらテニスコートの黒土の上を歩きまわった。
 町々のどよめきが波が寄せる様に響くのでまるで海に来て居る様な気持になって波に洗われる小石のすれ合う音や藻の香りを思い出し、足の下からザクザク砂を踏む音さえ聞えて来そうであった。
 これから書こうと思って居るものの冒頭を考えたりしながら自分一人の世界の様に深い深い呼吸をゆっ
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