からの様な声でこんな返事をした。
 暗い通りを横ぎると見えないポールのさきから青白い火花を散らして電車が一台走って行った。
 肇は赤い柱の下に立って篤の手をさぐりながら云った。
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「ねえ君、僕達はもう二十年近く親しい友達で居たんだよ、
 ねえ君――
 二十年近くもさ――
「ああ――二十年近くになるねえ。
「でも僕は一番初めどうした事からこんなに仲よしになったんだか今だに分って居ない。
「そんな事、さがそうとするもんじゃあないよ。
「ああ、ほんとうにさがすもんじゃあない。
[#ここで字下げ終わり]
 肇は何かひどく亢奮して低いふるえを帯た声で云った。
 すいた電車に乗って二人は一っかたまりになってだまって居た。
 肇は、今日始めて会った人の事について考え、
 篤は自分のわきにぴったり座って居る肇の事を思い、電車は闇をかきわける様にしてつき進んだ。
 丁度二人が電車に乗った頃千世子はふくふくの布団にくるまりながら自分で自分をねかしつける子守唄をうたって居た。

   (四)[#「(四)」は縦中横]

 夜の眠られない晩が十日もつづいて千世子はとうとう床についてしまった。
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 私はまあほんとうに四月と五月の月に呪われて居るんだ。
[#ここで字下げ終わり]
 青い眼のくぼんだ誰が見ても不愉快な顔つきをした千世子は甘苦い様な臭剥《しゅうぼつ》を飲みながらこんな事を云った。ふだんにまして気むずかしい機嫌を取りそこねて女中が一日中びくびくして居なければならない様なのもその頃だった。
 京子は毎日の様に来て呉れた。
 京子に云いつけられてだれが来ても女中は、
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 頭の工合が悪くいらしっておよってでございますから。
[#ここで字下げ終わり]
 間が悪そうにことわった。
 小さい紙っきれに短かい見舞の文句が書きつけられたのなんかがだんだんたまってごとごとと書きつけたなかにうす青い紙に女の様な字で、
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 御案じしてるんです、ほんとうに。
[#ここで字下げ終わり]
と書いてあったのが一番千世子の心を引いた、でもだれだかわからなかった。
 そのわからないと云う方がその筆の主をかえって美くしいものに想像出来ていいとも千世子は云って居た。
 京子は千世子の傍で終日絵を描いて居た。
 誰にも会わず何にも読めもしないで居る千世子には、絶えずはかどって行く絵筆の運びと心も身もその筆の先にこめて居る京子の様子を見るのがたった一つの慰めであった。
 京子は着物の色も模様もなるたけ千世子の心にかなった様にして居た。
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 ねえ、これは貴方の御伽にと思って書くんだから、貴方のおこのみ通りにねえ。
[#ここで字下げ終わり]
 こんな事を云われるのが嬉しいほど人なつっこい気持になって居た千世子はたびたびいかにもすなおな娘らしい調子で母親の処へ手紙を書いた。
 叱かられる京子の眼をぬすんで書くと云う事が一つの興味ある事でもあった。
 床についてから七日目の日は朝からまるで夏が来た様にあつかった。
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「まあほんとうにあつい、
 こんな『かいまき』をかけてちゃあゆだっちゃう。
『女中』にそう云って赤いうすい『かいまき』を出させて下さいな。
[#ここで字下げ終わり]
 千世子はこんな事を云いながら髪をとかしなおしたり爪の掃除をしたりした。
 そしてしばらくの間京子に髪をおもちゃにさせて居た。
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 まあ貴方の髪は何てかるいんだろう、
 ほんとうにフワフワしてる、
 どうして斯うなんだろうかしら。
[#ここで字下げ終わり]
 京子が云うのに返事もしないで目を細くして千世子は髪と髪の間に五本の指を入れてかきまわされる何とも云えない好い気味をしみじみと味わって居た。
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「ねえ貴方、女で髪をこんな事されていい気持だなんて云う人はありませんよ、
 大抵さわられたっていやだって云うのに――
 私にした所でいい気持どころじゃあない却って頭痛がしてしまう。
 年のわりに思いきった事がすきなんですねえ、
 四十位の女の様だ!
[#ここで字下げ終わり]
 京子は生毛のまだ生えて居る千世子の頸を見ながら云った。
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「四十位?
 そんな事ってあるもんですか、
 私達にわかるもんですかそんな事云ったって。
 十五六から二十になるまで心の中に新らしいものが生れると同じ様に四十位の女《ひと》の心には又新らしい或るものが産れて居るんですよ、
 私達には到底分らないものがねえ。
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 千世子は午後になってから自分でも変だと思うっ位気分がよくなった。
 その日まで着て居た着物をぬいでしっとりと折目のついた
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