下げ終わり]
 千世子は京子を引っぱる様にして書斎に通した。
 ほんとうにがんなりした様な顔をして口をきくんでも京子はのろのろとした。
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 何か一つ事をするとほんとうにうんざりしますねえ、
 昨日と今日は只もう空ばっかり見てるんですよ。
 皿にゃあといた絵具がこびりついたまんまだし、筆はこちこちになったまんまで――
 このまんま当分遊ぶときめた。
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 千世子によっかかりながら云う。
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 何故、そんなに甘ったれるんだろう、
 大きななりをしてながら、
 私より貴方は随分かさばって居るもの。
 でも今日はいつもよりよっぽど奇麗に見えてますよ、気持がいい着物の色が――
 それにね、
 貴方みたいな人は黒っぽいものが一番似合う。
 横縞は着るもんじゃあないんですよ、
 大抵の時は横っぴろがりに見えるから。
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 母親の様にしげしげと京子のなりを見た。
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 貴方新ダイヤのついたものなんかするもんじゃあない。
 私は大っきらい、
 何だか変に山師じみてさ。
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 こんな事も千世子は云った。
 二人は心から仲の良い様によっかかり合いながらとりとめもない事をぼそぼそと話した。
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「これから毎日貴方は描く絵を持って来私もしたい事をして一日中一緒に居ようじゃあありませんか、
 きっといいでしょうよ。
 ね? ほんとうにそうしようじゃあありませんか。
「そうねえ。
「そうしましょうよ。
「私も先にそう思った事もあったけど、
 あしたっからほんとうに――
 目先が変ってようござんしょうねえ。
 だけど私の道具を抱えて来るのは随分大変だ。
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 京子は真面目にそんな事を云った。
 二人は芝居の話、此の頃の「流行《はやり》」の話をあれから此れへと話しつづけだ。
 京子は市村座の様な芝居がすきだと云って、
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 ねえまあ考えて御覧なさい、
 丸の内にはない花道がありますよ。
 いきななりをした男衆が幕を引いて行く時の気持、提灯のならんだ緋の棧敷に白い顔のお酌も見られますよ。
 どんなに芝居特有の気持がみなぎって居るか――貴方なんかにわかるもんですか。
 私みたいに珊瑚の粉や瑪瑙のまぼしい様な色をお友達にして居る人間はやっぱりその方がすきですよ。
 そして又その方がする仕事につり合った気持だもの。
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 こんな事を云いながら美くしい濃い芸を見せると云って京子は散々に松蔦をほめちぎった。
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 そんなに?
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 千世子は気のない様な調子に聞いて居た。
 つめたい御茶をのみながら二人はだまっててんでんに別々な方を見て居た。
 何とはなしもの足りない気持が千世子の体中にみなぎって居た。
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「一寸居ますか?
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 暗い外から誰かが声をかけた。
 千世子は口の辺にうす笑をうかべて目を上の方に向けて耳をすます様に云った。
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「誰?
「私ですよ。
 千世子は手早く着物の衿をなおした。そして、
「お入んなさい。
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と云いながら京子を見て、
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「かまわない人ですよ、何んにも、
 そうやっていらっしゃいよ。
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と云う。
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「あー今日はね、新らしい人をつれて来たんです、
 会って下さるでしょう。
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 外にたったまんま篤は云って扉を細目にあけた。
 京子の方を見てポックリ頭を下げて千世子の方に目を向けてたしかめる様にも一度、
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「ねいいでしょう。
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と云った。
 千世子はだまってがっくんをした。
 京子は間のわるそうないかにも世なれない様子をして、
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 なぜ別な部屋にしないの、
 会った事もない人ん中に私は居るのがいやだもの。
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 鼻声でこんな事を云った。
 千世子が何にも返事をしないで居るうちに入口に二つの黒い顔が重って見えた。
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 お入んなさいよ。
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 わだかまりのない声で千世子は云った。
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 君! お入りよ。
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 篤はも一人の肩を押て扉を開けたまま千世子のわきに行った。
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 いらっしゃいまし。
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 千世子は新らしい客を見て云って篤の方に目を向けて、
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 どなた?
 何ておっしゃる方?
[#ここ
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