オルロフのいるうちに、なるたけ彼の部屋は掃除しなければならない。オルロフは室を去らず、ナースチャが机の上をいじっている時に、椅子の上から、椅子の下をはくときは衣裳棚の前に立って監視した。
「どうぞ御親切に、ナースチャ、その暦はインキ壺の右の肩のところへおいて下さい」
または、
「あれが見えないかね、可愛いナースチャ」
猫背のオルロフが水のような眼で見ているところは寝台の下で、鞄の端に一条の糸屑が引っかかっているのであった。
九
十二月になった。日が短くなって、モスクワには毎日雪が降った。
頭からショールをかぶったナースチャは脚の間に石油罐をおき、歩道に立っていた。石油販売所はまだ売りはじめない。雪の積った燈柱の下にトラックが一台いた。そのトラックと石油販売所の入口にかけて歩道を横切り階子《はしご》のようなものがかけられていた。トラックの上の男が石油の大きな樽をその階子にのせた。歩道にいる男がそれをころがして店へ運びこむ。石油販売所の内部は暗くがらんとしている。陰気な石の壁の上にも石の床にも石油のしみと臭いがある。トラックからおろす石油の樽も油じみて黒い。そ
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