いんですけれど、組合へはこの書付《ドクメント》がないと駄目だって云われたんです」
「組合《ソユーズ》ってお前……|神よ《ボージェ・モイ》! なにを考え出したのさ、急に」
ナースチャを見上げ、それから夫をアンナ・リヴォーヴナは眺めた。パーヴェル・パヴロヴィッチは故意としか思われぬ無邪気な眉のひらきようをして、窓の外に見とれている。アンナ・リヴォーヴナは、頭をふり、紙をひろげて、項目に眼をとおしはじめた。
その場の空気から、ナースチャは変に不安な居心地のわるい心持になり、立ちつづけた。これはそんななにごと[#「なにごと」に傍点]かなのであろうか。
待ち遠しくなったほど丁寧に読み終って手を紙の上におき、アンナ・リヴォーヴナは、
「じゃ《ヌー》、よろしい《ハラショ》」
とおだやかに云った。
「書いたげよう。――だがいそぎゃしないんだろう? ナースチャ」
ナースチャはいそぐと云えなくなって、
「ええ」
と答えた。
「じゃ、紙おいときますから」
はっきりしない気持でナースチャが去ろうとすると、アンナ・リヴォーヴナが彼女をよびとめた。
「ちょっと、ナースチャ、この紙、たしかに書いたげるには書いたげるが、お前、組合ってどんなもんだか、よく知ってるかい」
食堂の戸口のカーテンのところに立ち止って、ナースチャはまごつきを感じ、むっつり答えた。
「知ってると思います」
「そりゃ素敵だ! 説明してごらん」
ナースチャは、前垂をひっぱりながら、野性なきつい眼付で主人たち夫婦をみた。ナースチャは主人たちの前で長い文句で自分の考えを述べることなどに、てんからなれていない。アンナ・リヴォーヴナはからかうように、
「きまりわるがることはないじゃないか」
と笑った。
「お前の組合のことをお前が話すんじゃないか」
腹が立って来て、ナースチャは云った。
「組合へ入れば、映画がやすくなるんです」
爆発するような口をあけてあおむきに寝ころんだパーヴェル・パヴロヴィッチが笑った。
「上出来《ブラボ》! 上出来《ブラボ》!」
「父さん! たら……それから? ナースチャ」
ちっとも云いたくない心持をこらえて、ナースチャは、
「クラブもあります」
と云った。
「夜ひまなとき、わたし、クラブのクルジョークで勉強したいと思ったのです。わたし、ここでほんの一人ぼっちだけど、そこへいけば沢山|仲間《タワー
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