右手を見ると、粗末な石垣のすぐそこから曇天と風とで荒々しく濁ったカスピ海がひろがり、海の中へも一基、二基、三基と汲出櫓が列をなしてのり込んで行っている。
 風と海のざわめきとの間にも微かなキューキューいう規則正しい音が聞える。子供の時分ランプへ石油を注ぐ時使う金の道具があった。それを石油カンにさして細い針金を引っぱり石油をランプに汲み上げるときキューキュー一種の音を立てた。そっくりその通りではないが、それに似た音と、トン、トンと間《ま》を置く遠い音響が、自分の登っている櫓からばかりでなく数々の櫓の間から何処とも知れず聞えている。
 この辺一帯は革命後になってはじめて穿鑿された油田だそうだ。「ウラジミル・イリイッチ油田」と呼ばれている。バクーの市から一番近い。掘りはじめは不成績であったので放棄する意見が技術委員会の大半を占めた、その時、数人の若い連中ががんばって遂にこんなに豊富な源泉に当った。案内している三十四五の技師はその逸話を話し、
「マア、我々の事業はこんな塩梅で進むんですな」
と、いかにも楽しげに人好く笑った。ここでは、海の中へ、中へと掘りすすむほど良質な石油が量も沢山出るのが特
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