いるばかりである。
 この界隈は、どちらかというと樹木の多い古い土地で、めいめいの家の空地もある方だろうが、それでもやっぱり、沈丁花一つ咲かすにも程よいところを見つけるには工夫がいる有様である。
 シャベルをもって縁の下の土をほりながら、私はこの間新聞でよんだ記事を思い出した。米の不足を補うために、東京市は馬鈴薯の種をとりよせ、それを十坪以内の土地の利用者に限って分ける、という話である。その記事をよんだときも、何となし十坪以内の地べたを利用して植る、ということに、ぴったりしない感じがした。そういう面積を標準としたことは出来た馬鈴薯を売りものにしないという目安に立ってのことであろうが、田舎で本ものの馬鈴薯畑を見たり、裸足を甲までも柔かい畑土にうずめて馬鈴薯ほりをした思い出からは、云われていることが何か手遊びめいた感じで妙な気がした。
 きょう、そうやってシャベルをもって庭へ下りて、従妹にその庭の土は凍っていて駄目だと教えられ、私は又別な感想で、十坪馬鈴薯のことを思い合わすのである。この庭なんか、丁度八九坪で、東京市で標準とされている地面の広さである。
 だけれども、親愛なるジャガイモ、私
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