昔を今に
――なすよしもなき馬鈴薯と綿――
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)薯《いも》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四〇年三月〕
−−

 三四日、風邪で臥ていた従妹が、きょうは起きて、赤い格子のエプロンをかけ、うれしそうにパンジーの鉢植をしている。
 その縁側の外に立って、私はシャベルで縁の下の土を掬っては素焼の鉢にうつした。この従妹は田舎の家で土いじりの好きな父親の対手をしていたものだから、いろいろのことに自然通じていて、そうやって鉢へ入れる土も、縁の下のでなければだめ庭土はすっかり凍っているからと、私に教えるのであった。
 うちには、庭と呼ぶ狭い空地が鉤のてに建られた住居と、隣家の羽目との間にある。東は竹垣でそちらからの日光はよくさすが南側はいきなり前の家の羽目になっているから、狭い空地の半分以上はその蔭に入ってしまう都合になる。従妹がパンジーをいじっている座敷の縁側から畳三尺ほど春日はうららかに照っているが、庭の南側の端れには、八つ手の大きいのが一本、赤い実のついた青木が一本、生えているばかりである。
 この界隈は、どちらかというと樹木の多い古い土地で、めいめいの家の空地もある方だろうが、それでもやっぱり、沈丁花一つ咲かすにも程よいところを見つけるには工夫がいる有様である。
 シャベルをもって縁の下の土をほりながら、私はこの間新聞でよんだ記事を思い出した。米の不足を補うために、東京市は馬鈴薯の種をとりよせ、それを十坪以内の土地の利用者に限って分ける、という話である。その記事をよんだときも、何となし十坪以内の地べたを利用して植る、ということに、ぴったりしない感じがした。そういう面積を標準としたことは出来た馬鈴薯を売りものにしないという目安に立ってのことであろうが、田舎で本ものの馬鈴薯畑を見たり、裸足を甲までも柔かい畑土にうずめて馬鈴薯ほりをした思い出からは、云われていることが何か手遊びめいた感じで妙な気がした。
 きょう、そうやってシャベルをもって庭へ下りて、従妹にその庭の土は凍っていて駄目だと教えられ、私は又別な感想で、十坪馬鈴薯のことを思い合わすのである。この庭なんか、丁度八九坪で、東京市で標準とされている地面の広さである。
 だけれども、親愛なるジャガイモ、私
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング