の祖母たちはカンプラと東北の呼名で呼んだ馬鈴薯の種を、どこへまいたら、育って花を咲かせて、米の足しになるようなみのりかたをするだろうか。もしも、うちでやるとすれば、東側の竹垣の根へ少々その東からの光線がさす西よりのところに少々、位置をそうきめたとして、土は鉢植えにさえ適さないものだし、すこし深く掘ると、ここは何故だか瓦のこわれだの石ころだのが出る。田舎から来ている従妹は、ジャガイモ話は本気にしないで、ハアハア大笑いしているのも無理ないと思えた。
お米の足しに、ジャガイモが実質的な意味をもつというような程度の日暮しの東京の家庭が、十坪以内にしろ、薯《いも》の隆々と成育するだけの日光と水はけとをそなえた空地を果して家のまわりにもっているであろうか。友達たちのあっちこっちの家々を思い比べてみても、これはどうもあやしい。あそこなら薯も育ちそうだという庭の思い出されるうちは、米が不足すればジャガイモをつくるより先に何かほかのものを買って補いをつけそうである。
全国的な米の不足に対して、都会も消費者としての側からばかりでなく、せめては馬鈴薯をつくるなりして、困難を凌いでゆく一つの感情に結ばれて行こうという着眼は理解されるけれども、一々の家庭の現実について見ると、そこに悲しき頬笑みの浮ぶ事情もあるのである。そんなに迄する必要が迫っているかという思いと、こういう暮しの中ではそれさえ出来ないという発見とが、苦しく綯《な》い合わされるのである。
綿の栽培が又はやりはじめたことも何となく私たちの女の心をひく事柄である。綿の栽培は明治二十年以来日本では忘られる一方であったそうだ。それが又立ちかえって植られるとすれば、農家の奥からブーンブーンと綿から糸をひく絃の響もきこえて来るようになるかもしれない。そして娘さんの世界には、糸をひくこと、染ること、綿を織ること、それが女一人前の資格の一つとして立ちかえって来るのだろうか。昼間は機械工として近代の工業に参加する娘さんの、夜なべの仕事は綿紡ぎになるのだろうか。
牧歌的な懐古の趣ばかりがここに感じられないところに、今日の現実の性質があるのだと思う。
[#地付き]〔一九四〇年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「日
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