そうしてみれば、誰かがたのんで、ここの店先へ札を出して貰っているのだろう。誰も、彼も、その向き向きで儲けようとしている、と猛之介は考えた。そして、それは極めて当然のことと思えた。儲けられるところをいくらかでも儲けないものは要するにうとい人間だし、そのたのしみがあってこそ、人間は動いているのだ。
 身代を大きくした猛之介の祖父さんの由兵衛という男は畦の由兵衛という綽名で呼ばれて生涯を終った。自分の田の畦、畑の畔から野良道へ出るとき、由兵衛はいちいち草履の底をこそげて一かたまりの土でも自分の家の土を、どこのどいつでも歩く道へ持ち出さないようにした。田の土、畑の土、それは金と汗のかたまりの土、往来の泥とはまるでちがう財産ということを由兵衛に子供のうちからきかされて育った。ひどく擲《なぐ》られるのは、いつもうっかり藁草履の底をこそげずに、畑から道へとび出したときであった。
 時代が変って、草履の裏につく土さえ外へ持ち出さなかった心がけとは反対に、今は、ふっくりとした武蔵野の黒い土の厚みを、二重に剥がして、土からの儲けを考えるようになって来ている。猛之介はこの知慧については自分に満足を感じている
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