らまで道路を開鑿《かいさく》したりしないうちに、今のこの景気の波がすぎてしまいやしないかという不安は、絶えず碌三の念頭にある。碌三にとって、猛之介がもったいらしく述べるような金儲けの哲学も、つまりは持地が三倍もの価でうれた当今の人間の腹からこそひとりでに出る※[#「口+愛」、第3水準1−15−23、397−13]《おくび》のようなものだと、余りいい気持でもきけないわけである。
 ふいと興醒めたような気になって、碌三は鋏の音たかく、二三ヵ所仕上げのようなことをし、まあ、こんなとこかね、と、椅子をはなれて、バットの箱へ手をかけた。弟子の良太が白い布をとってやると、猛之介は伸びをするように手脚を張りながら、洗面台の方へ行った。

 丹前のふところ手で、苅りたての頸筋のあたり、剃りたての顎のあたりに軽い風をうけながら猛之介は改正道路を、うちの方へ横切った。荒物屋の日除けの鉄棒のところへ何か下っていたので見ると、それは夜間英語教授という広告であった。昼間働いて夜だけ勉強したい方は、僅の時間で英語の進歩する教授を御利用下さい。その荒物屋の家内は猛之介がよく知っている。英語なんかやる人間はない筈だ。
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