るのだろう。最低はいくらと決められるのだろう。女は三分の一の百五十円と決められた。いつも婦人と青年とがより悪条件で働かされて来たこれまでのしきたりから言えば、三十歳未満の青年は、つまりは女なみだということだろうか。
これは奇怪千万なことだと思う。婦人が戦争中、戦争が終った今日、どれほどの数で一家の支柱となっているかわからない。同じように兄にかわって、父にかわって一家の経済の柱となっている青年達は、おびただしい数だろうと思う。インフレ防止と言ってモラトリアムがしかれたが、私達の大部分は、モラトリアム公表の一日前に五十銭札で隠しておく二千円、三千円という金を持ってはいなかった。交通費は三倍になっている。米の値も味噌、醤油の値も三倍になっている。三十前の青年だといって「青年価格」というものは日本のどこにも存在しない。然し青年賃金というものは存在する。生の愚弄ということはこのようにして私共の日々の細部に沁みこんでいる。封建制というものが私達の全力をあげて打ち破らなければならないものであるということはこの一つにさえ充分現われている。
私達は、自分の生をいとおしんでいる。生きるに甲斐ある一生
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