青年の生きる道
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)凡《あら》ゆる

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四六年五月〕
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 日本の人口は七千万といわれている。その中で青年はどれほどの数を占めているのであろうか。今日、日本に生きる私達は皆一かたならない困難を持っているし、一朝一夕に片づかない社会的課題を持っている。日本の民主化という窓は明日に向って明るく開かれているけれども、その国を横切りつつある私達の足もとには長い歴史が今日に齎している雑多な矛盾と障碍とがある。
 青年の生活を思う時、私達の心には一口には言い現わせないいとおしみと希望とがある。こうして日本の若い人々、明日の担い手である若い男女青年の生活を思いやっている時、私達は何か話の始まりにきっかけとなる、せめては一つの小説とか、一つの伝記とかを思い出したいと思う。ところが一寸その例が見当らない。日本の作品ばかりでなく、外国の文学を考えても、直ぐ日本の今日の青年の生活とぴったり心の合った話題を持つ作品が思い浮ばない。これはどういう理由であろうか。勿論、私の文学についての知識が決して広くないということが第一の原因である。けれどももう一つ原因が感じられる。それは今日の日本の社会の事情と、今日までの数年間を日本の青年が経て来た経験とは、日本の歴史に未曾有の内容を持っていたばかりでなくて、それは世界の青年達の経験からも独特な性質を以って際立っているからではなかろうか。
 第二次世界大戦は地球を血みどろにした。そしてその結果、世界は自身の流血の上に立って、国際間の諸矛盾を解決するために戦争というものは再び繰返されるべきものでないということを学んだ。日本も同じ大きな道を辿って同じ結論に到達している訳ではあるが、然しこの過程には世界に類の無い日本の若者だけが負わされた犠牲があった。
 日本の民主化がポツダム宣言によって、政府に対して義務づけられたということは、とりも直さず、第二次世界大戦を契機として日本がどんなに封建的な暴力的な権力によって支配されて来ていたかということを語っている。
 世界が驚きの眼をみはって眺めたものの一つに特攻隊というものがある。特攻隊に参加した若い人々の精神の中には、その人々自身にとってそれぞれ真面目な、情熱を傾けた思いがあったろう。けれども客観的にみればこれは日本の近代的重工業の生産力が全く立ち遅れている苦境を、若く、一つの情熱によって命を捨て得る青年の生命によって埋めて行こうとした軍事的手段であった。特攻隊に参加はしなかったが学徒動員と徴用とによって過去四、五年間日本の全ての若い人が動員された。そして突然、自分の生活の道を変更させられ、何年間か一貫した目的を以ていそしんでいた学業や仕事を放擲させられ、一つの鍋の中に打ち込まれた豆のように煮つめられた。そういう避けることの出来ない事情におかれた若い人々にとって最も致命的であった点は、ただ外に現われた生活の道が強い権力によってへし曲げられたということばかりではなかったと思う。本人達にとって決して自然に受けとれない、納得出来ないそれ等の生活の経験に対して、自分の疑問、自分の探求心、自身の結論を導き出すことを全く許さなかった日本の権力の、非人間的な圧力というものこそ、数百万の青年が今日において昨日を顧みた時、口惜しく思う点があろうと思う。
 私達の人生には、常に難関というものがある。苦境というものなしの人生は一人の人にも可能とされていない。私達がそれらの難関と苦境とに処して何かの希望と方向とを発見し、それを凌ぎ前進して行けるのは何の力によってであろうか。それはただ私達が自分の経験を我が物と充分自覚してうけとり、それを凡《あら》ゆる角度から玩味し、研究し、社会の客観的な歴史と自分の経験とを照し合わせ、そこから好いにしろ悪いにしろ正直な結論をひき出して、その結論から次ぎの一歩への可能をひき出して行くからであると思う。
 このようにして自分の経験を綜合し、分析し、推理して発展させて行く理性の能力は人間にだけ与えられている。この人間にだけ与えられている最も人間らしい能力を私達は凡ゆる面でこれまで圧えられて来た。徴用に行った人はどれほど沢山の経験を重ねて戻って来たろう。働かせる者と働く者との物の感じ方、判断、利害がどんなに一致しないかということを学んで来ているに違いない。あのように厳しく、そこから逃げ出せば法律で以て罰せられ、牢屋にまで送られた徴用の勤め先が軍部への思惑だけで、収容力もないほどどっさり徴用工の頭数だけを揃えていることや、そのために宿舎、食糧、勤労そのものさえ、まともに運営されて行かず、日々が空虚に心を荒ませるばかりに過ぎて行く
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