こともある。だが、それらは今思えばどれも熾な生活力に充ちた親たちの性格があげた波の飛沫で、私はそのしぶきをずっぷりと浴びつつ、自分も、あの波この波をその波のうねりに加えながら、暗い廊下を自分の小部屋へ引き上げて来る。その廊下の暗さが独特によかった。部屋の入口をさぐりあてて、電燈をひねって、澄んだ狭い部屋の明るさのなかに浮出して来る大きい手ずれた素朴な机は、祖父のお下りというものであった。その机に向って坐る。時間の一粒一粒が私に何かを語りかけ、私も何かを語りかえさずにはいられないような気分である。そこで、心臓が口からとび出しはしまいかと思うほど胸轟かして文房堂から買って来た原稿紙をひろげて、何かを書き出す。そのようにして文学というものが、身に近いものとなって、永年まとまりなく自分を表現するてだてであった音楽がやや遠いものとなって来たのであった。
跣足になって庭を掃いたり、昔風のポンプで水まきしたり、お客様のときは御給仕役もまわって来た。久留米絣の元禄袖の着物に赤いモスリンの半幅帯を貝の口に結んだ跣足の娘の姿は、それなり上野から八時間ほど汽車にのせて北へ行った福島の田舎の祖母の黒光りのす
前へ
次へ
全17ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング