ろう。
 心のときめくかくれ場所はもう一ところあった。それは本校のその建物の真裏で、となりの聖堂の土塀に近いところに、一つづきの小高い樫の茂った丘があった。一年生として入学した年の夏、その丘の下いっぱいが色とりどりの罌粟《けし》の花盛りで、美しさに恍惚としたことがあった。それ以来、そこは私をそっと誘いよせる場所になって、よくそこへも本をもって行ってよんだ。落葉の匂い、しっとりとした土の匂い、日のぬくもり。それらは、本の面白さを増すばかりか、そういうところで本をよむ趣を猶更味わいふかい感じにさせるのであった。
 そんな風にして、どの位本をよんだことだろう。
 家ではその時分、玄関わきの小部屋が私の部屋になっていた。土庇の深く出た部屋で、その庭には槇と紫陽花と赤い絹糸の総をかけたような芽をふく楓が一株あった。蕗の薹も出た。その小部屋は、親たちのいるところと、夜は真暗な妙にくねった廊下でへだてられていた。父や母は壮年時代の旺盛な生活ぶりで、どちらかというと自身たちの生活にかまけている。よく衝突もしていた。母が泣くこともあった。百合ちゃんはお父様とどこへでも行って暮したらいいだろうと云うような
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