に髣髴《ほうふつ》する。それに対して漠然直感されている各人の日頃からの感想というようなものも、その題への一瞥と同時に動かされて来るのを感じると思う。自分たちが嘗てはそのものであった学生、兄や弟や仲間たちが皆そうである学生、よろこんだり悲しんだり不幸をもったりして成長と挫折の可能の間に青春を経験しつつある外ならぬその学生としての感じが、親密に共感をもって伝えられて来ると思う。学生は人間としての暖かい血をもって生きているものとして十分感じさせる題なのである。その意味でリアルな題であるとも云える。著者の社会的判断の志向の責任もおのずから含まれているのである。
「学生の生態」という題は、これに比べて濡れたガラスの面にさわるような感触を与える。外囲の或る条件のもとに自然物としての生物は変化する、その変化を客観的に観察する、生態学となそうというのであろう。――だが、人間はそして青年学生はほかの自然物としての生物にはない精神をもっており、感じる心をもっており、環境へ自分から働きかけてゆく力も欲望ももっている筈ではないのだろうか。それらの人間らしい力を認められての上で、その力のあらわれについて相互関係
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