、文学の感覚から遠いばかりでなく、学者らしさ或は先生らしさと云われて来ているものからも大分距離があるように思える。文学の感覚が活々としているなら、流行の元祖のその小説が、日本の現代文学にどういう在りようをしているかということの理解から、その同じ字を使う気にはなれなそうである。学者らしく又先生らしい心持の勘には、今日のジャーナリズムの相当荒っぽい物音がそのまま疑問もなく谺《こだま》することは無さそうに思える。著者にとりてこれは不幸な偶然であるのかもしれないけれども、第三者の心には、今日の日本の文化の肌理《きめ》はこうなって来ているかという、一種の感慨を深くさせるのであった。
そして、「学生の生態」という題は、じっとみているうちにまた別の面で私たちの心持を妙にさせる一つの力を持っている。生態という字を私たちの常識は例えば植物生態学、動物生態学というつづけかたでこれまでうけとって来ていると思う。字引をひくと、生態学は生物と外囲及び生物と他の生物との関係を研究する学科、という説明がある。そういう自然科学の一部門の用語である。「結婚の生態」と云うつなげかたも何か妙だが、そこにはその小説の作者が
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