ているその飢渇感には、僅か二、三年前には知られなかった生活的な諸経験がたたみこまれているから、文学とは何であろうかという思いも、一層沈潜して強く流れかかっているのは注目すべきであると思う。

 この一年二年は、時間だけで計られない内容をもって社会生活が変転した。変転する社会の相貌に応じて、文学の分野の謂わばモードも転々したのであるが、今日ではそのような文学の形をとった上波が、つまりは文学というより寧ろ文学によって扱われるべき世相の一つの姿であって、文学とはその様な人間関係の、心理の、何か一皮むいたもの、何か見抜いたところのあるもの、人間として我々の生きつつある真実のうちにひそめられている感動にふれて来るものとして、求められ始めている。人生を語るもの、知らしめるものとして文学が求められて来ている日々がこのようにして迎えられ送られている。その真の姿を確りと見直したい心が文学へ真面目な眼差しを向けようとしている。そこでは、矛盾の諸相も現実のものとしておそれられていない。島木健作氏の「生活の探求」に向けられて行った時代のやや素朴であった一般の人生的な良心も、その点では今日の現実によって成長させ
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