に呼び起した。
 その本の出版されていることを、私はずっと以前から知っていたし、訳者の井口という人をも少し知っていた。私が最初の小説を発表した時分、和服でまだ帝大の制帽をかぶっていた訳者は、私の仕事について何通かの手紙をくれたし訪問もされた。私はまだごく若くて、その人の専門の学問その他に注意をひかれるより、単純にその人の書く手紙に英語の詩やその他所謂偉大な思想家の著作からの引用文があんまり沢山あることで、何か親しみ難い感情を抱いた。
 私は、手紙の中に様々の引用文などをする人の好みとは反対の好みを持っていたのであった。
 訳者と私とのつき合いは発展せず、そのまま何年かがすぎ、しかしその人がドイツへゆくとき、又外国で病を得てスイスの療養所にいること、妻子の様子などについて短い消息は、エハガキなどで忘られた時分送られて来た。
 それから後の数年の間に、私は日本の知識階級出の一婦人作家としては懸命な発展への道を辿り、訳者は、日本にであろうかベルリンにであろうかドイツ婦人の妻とその間に生れた子供をのこして早世した。
 このローザの書翰集の粗末に扱われていたんでいる表紙の上にのこされている訳者の
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