毎日の裡におかれた生活に即した美しさは、今やもっと迫った経済の関係で外部へ吸い出されている。
 柳宗悦さんたちのやって居られる『月刊民芸』という雑誌の座談会で、誰かが、この頃やっといくらか人々が物の美しさに目をとめて来たようだ、と云っておられる今日の傾向は、そういう訳で、決して単純な動機であると云えない。単純に、美しさを生活の中にもちたい心持がまして来ている、とだけ云い切れまい。余りどこもかしこも荒っぽく殺気だっている明暮だから、せめて台所ののれん[#「のれん」に傍点]ぐらいはと、仮に「こうげい」でそんなものでも買う人々の暮しは、現実にはその台所の戸棚に相当な食糧の補充も蓄えられている人々のことである。そもそものれん[#「のれん」に傍点]の発祥した庶民の暮しは、同じ荒っぽさに一きわむき出されているのだが、そういう生活の中では、一山いくらと札の立っている瀬戸物のなかからより出して来る茶碗が実にひどいものになっているという今日の情のこわい肌ざわりしかないのである。生活の中にある美しさについて云うならば、それはごくあたり前の、必要から幾箇かの皿小鉢、何枚かの盆をつかって暮している人々の、その
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング