ている。
 この頃、銀座の裏通りを歩いたりすると一寸した趣味とげてものをとりまぜたような店がふえて来ているのが目立つ。
 一応贅沢が人目に立ってはいけない折から、本当の高貴なものは反物にしろ器物にしろ街頭からひっこんだところで動いているわけなのだろう。従って、ぶらぶら歩きの視線にふれて来る程度のものは、ちよく[#「ちよく」に傍点]な、これも面白い、という程のものなのだろうし、又今日は一般の人の目がそういうものにひかれやすくなってもいるのが実際だろうと思う。
 使っていい金が世間にあっただろうし、そういう金が流れているだけに物は悪くて高くなっているのだから、茶碗一つを買うにしろどうせもとの考えかたでやすくて使えるものがなくなっているのならば、と人々の目は一寸目先の変った品物へひかれるのである。
 それともう一つは、各方面に日本的なものの見直しがあって、そこには日本の美を真に見直そうとする愛の目醒めと同時に、皮相の風潮としてのそういうものもある。そして、そのことでは、面白いことに丁度外国人が日本の美というと古典しかわからないように、日本の美というと古いものにしか目を向けられないでいる傾きも
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