生活においての統一
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九四六年一月〕
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日本の文学と文学者とは、最近数年の間に極めて容赦のない過程で、政治というものについて、目をさまされて来た。
大体日本文学は、その歴史の発端から、風流を文学の芸術性の骨子として、社会生活から或る程度離脱した位置に自身をおいた知性と感性との表現としての伝統をもって来た。日本文学は主情的な文学の特質をもっていたといわれている。その原因には少くとも芸術に向う素質をもった人間的心情にとって、数百年間の封建日本の重い絆と、薄弱であるのに形は動かしがたい封建知性人の経済的基礎とが、常に人生をあわれと見る心理に追いこんで来たことがある。理非に訴えて政治的にそれを打破する可能は、その時々の支配力が決して一般人に与えていなかったものであった。
一九一八年以後の日本に民主的文学が擡頭して、文学の社会性について発展的な一歩を示したとき、例えば作家中村武羅夫は、有名であった「花園を荒す者は誰ぞ」という反駁の論文で、熱烈に文学の純芸
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