術性という観念を保守した。ところが、その純芸術性という観念は、本質においては、社会的表現としての芸術が政治的にもつ意味という点に全く無知であった。その証明として、今度の第二次世界大戦に参加した日本の非道な軍事強行が進むにつれ、他ならぬこの純芸術性の擁護者であった中村武羅夫が先頭の一人となって、急速に、徹底的に日本の旧文学を、軍事暴力の政治抑圧に屈伏させた。そして文学の真に芸術としての自主的な意義を潰滅させた。
このおどろくべき経験は、これからの日本の文学と文学者にとって、無限の教訓となるに違いない。作家が、自分を一市民と自覚して、自身の社会生活構築の過程により真摯に参加するにつれて、文学と政治とのいきさつは、観念の論議からぬけ出して、正常な生活的血液を循環させるようになるであろう。そこに民主的文学の一つの新生面があり得るのである。[#地付き]〔一九四六年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和2
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