慰安です。そのために、日本の看護婦の過労は、もっともっとどうにかされなければならないと思います。どこの病院でも、看護婦は不足です。結核療養所の看護婦が、過労していないという例は一つもありません。「病気と私」を読んだすべてのひとは、患者が床の上におとした物を自分で拾うことを禁じている。そのように十分の看護婦が配置されているサナトリアムの設備におどろくのです。
看護婦というと、日本のこれまでの感情では何となしあらゆる困難に対して献身的で犠牲の精神にしたがっている人々であり、おとなしくやさしく患者のたのみをきく人ばかりを期待しているようです。しかし、看護婦は、どういう場合にも病人の犠牲となるものではありません。病人が癒ってゆくための力づよい指導者であり、平静で明るい協力者であり、つまり病人の支えです。それだけの人間的な内容がいります。ですから、そういう職業の性質として、社会は、看護婦の経済的・精神的生活の安定のために、はからなければいけないと思います。
アメリカやイギリスその他の国々で、看護婦の私的生活は、職務からすっかりきりはなされていて、例えば結婚して妊娠すれば、母となるという仕事は
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