生きるための協力者
――その人々の人生にあるもの――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#地付き]〔一九五一年二月〕
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 だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。著者は四〇歳を越した一人の看護婦でした。二〇年余の看護婦としての経験と彼女の優秀な資格は、ロンドン市立病院の一人の看護婦である彼女を、人生のいろいろの場面に立ちあわせることになりました。行路病者として運びこまれた乞食の臨終に立ちあった彼女は、その優れた資質によってイギリス国王の病床にも侍しました。乞食であろうと国王であろうと、人間の病気とその苦悩、治癒と死の過程は、ひとしく人類の通る道です。しかし、病気そのものは一つでも、それをとりまく人生の道具だては、同じロンドンの空の下で、乞食と国王とでは何たるちがいでしょう。『乞食から国王まで』の著者は、社会のどん底から、てっぺんまでを看護婦として通ってみて、人間とその病気とが、人生の何を語るかということを書いた本でした。
 丁度日本が中国への戦争を拡大していたころで、間もなくわたしはその新聞さえよむことができなくなりました。したがって、その本も輸入されませんでしたが、ロンドンの一人の看護婦のかいた『乞食から国王まで』という本の名とその内容は、忘られないで、記憶にとどまっています。
 看護婦という立場は、病気という人間の苦しみを通じて、ほんとうに、いろいろの人の生活にふれ、その運命を目撃します。内科の家庭医となって、一つの家庭に接触すると、病気そのものよりも、むしろ、病気をしている主人なり妻なり老人なりに対するその家族のひとたちの感情の複雑さにおどろく場合が少くないと云われています。看護婦の立場も全くそのとおりと思われますが、わたしは、みなさんに一つの質問をしたい気がします。あなたがたは、病む人々が生命のためにたたかう事業をたすけて、けなげに努力していらっしゃる。そのような看護婦という職業をもつ一人の女性の人生として、きょうの生活をどう感じて働いておいででしょうか、と。
 生きるために病とたたかう人たちをたすける看護婦という職業において、日本の看護婦は、どのように社会から評価されているでしょう。日
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