んだ。道ばたへ、襤褸《ぼろ》みたいにぶっ倒れてるのも見た。革命前までロシアの労働者の飲みようと来たら底なしで、寒ぢゅう襯衣《シャツ》まで飲んで凍え死ぬもんがよくあった。立ち上ることを恐れた。そこで酒で麻痺させたんだ。おまけにツァーはそのウォツカの税でうんと儲けて居た。革命後プロレタリアートは自分の完全な主人になった。が彼等に注ぎ込まれた毒の作用は急に消えない。中毒して本ものの病人もある。習慣的に賃銀を受とると飲んじゃう奴がある。五ヵ年計画で国じゅう真剣なのに、職場でこっそりあおっちゃくたくたしていられては堪らぬ。ソヴェトのプロレタリアートは目覚ましい勢で自己批判を始めた。一九二九年から禁酒運動の盛になったこと、文部省はアルコール中毒患者専門の療養所を開いた。キノで酒の体に及ぼす害、子孫に害を及ぼす恐ろしさ、酒が敵で心にもない反革命的行為に誘惑される実例も見せる。禁酒宣伝の示威行列も見たよ、度々。
――誰が示威行列をやるんだ。
――ピオニェールだ。婦人労働者が示威したこともある。ピオニェール、コムソモール、自覚ある婦人労働者などはいろんな社会的規律の改善にいつも先へ立って活動する。禁酒奨励運動では、女と子供が実によく働いてる。可愛いピオニェールになってる自分の息子や娘達が凜々《りり》しく隊伍を組んで雪ん中を「酔っ払い親父を排撃する!」って赤いプラカート担いで行進されちゃ、参るのさ、ソヴェトのピオニェールや自覚した婦人労働者はしっかりしてるからな。病院へ入れて中毒を療して貰っても、また悪い癖に戻るようなルンペンは、生産に携る勤労者として価値ないと云っていつまでもくっついて、自分達の生活をダメにさせちゃ置かぬ。
――この頃はどうなんだ? ましか?
――ずっと増しだ。第一消費組合の店は土曜日、日曜日、例えばメーデーの前日、酔っ払う可能の多い日は一切酒類を売らない。ふだんでも売る店が町の中でどこときまっていて、あとは閉められたのが多い。酒場も減った。酒場でも店でもアルコールの強い酒は売ることを許されない。
――ところで、じゃ一月九日――一九〇五年の「血の日曜日」の記念だろう? それはどんなにして行われるんだ?
――昼間は普通だ。働く。夜クラブが催しをやる。一九〇五年の革命が世界プロレタリアート解放運動史の上にどんな重大な意味をもっているか、革命的プロレタリアートは
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