どんな歴史的使命をそこで果したかを短く演説する。
――男も女も行けるんだろう、そのクラブへは。
――そうとも! 家じゅう行くんだ。婆さんも孫も、赤坊だって行くよ。
――本当か?
――プロレタリアートのソヴェトは、女を封建的に台所の中やオシメのまわりをうろつかせては置かないんだ。女が働く工場には托児所がある。女が男と一緒に芝居を見、演説をきき、時には自分だって演説するクラブの中には大抵「母と子の室」がある。そこに清潔な寝台がある。壁に「赤坊は自分の乳で養え! 牛は人間の子の為に乳を出すのではない」とか「赤坊に規律正しく乳をやれ」とか、プラカートがかかってる。そこへ赤坊を寝かせておけば、責任をもって見てくれる者がいるから女は安心して演説をきいていられるんだ。
――そうでなければならないように出来てる。それから、
――時には、一九〇五年の革命を目撃した労働者の思い出話もされる。一月九日を記念した詩が本ものの朗読者によって音楽に伴れて朗読される。クラブ劇研究員の芝居、ピオニェールの分列式。ピオニェールの活人画みたいな劇、移動劇団がやって来て大道具をつくって芝居する。キノがある――記念すべき一晩をゆっくり、集団的に、楽しみの裡に階級的意識を鼓舞されつつ過すのだ。
――……ソヴェトの労働者たちが世界プロレタリアートにとっての記念日だけを本当の祭日にしてるところは、さすがだ。そして、その祭日の過しかたも各々家へ引こんで個人主義的にやるんでなしに、クラブへ集ってやるところもソヴェトらしい。
――なかなか勉強になると思うんだ。あっちのやりかたを見ると。苦しい時だけ、争闘の必要が起った時だけ、急に工場でかたまるんじゃない。ふだんから、機会ある毎に楽しむ時にも男も女も集団的にかたまって、階級としての団結力の強化をはかってる。
――然し、ソヴェトは建設期だろ。階級としての富農や成金に対して断然指導勢力を持ってるのはプロレタリアートじゃないか。
――そうだ。特に五ヵ年計画の三年目になってる現在では、国内の問題でプロレタリアートが階級的に揺ぐ点なんか在りようない状態だ。が、忘れるな。プロレタリアートは階級として地球をぐるりと一まわりしているんだ。地球六分の五を占める資本国でプロレタリアートがどんな情勢の下にあるかということをソヴェトの男女は念頭にもってる。それに、ソヴェトの
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