あるとおり、ソヴェト市民の生活感情の圏はひろげられて、ドン河をこえたことのなかったものが、その岸をふんだばかりではなかった。話できいていたよその国々の民族とその社会生活とを見た。ただそこへ行って、「郷に入っては郷に従え」という生きかたをしたのでもなく、侵略者の暴力で臨んだのでもなく、これら数百万のソヴェト市民ははっきりその眼、その心で、自分たちの建設しつつある社会主義社会の生活面を、旧世界の中世封建の霧がかかった中部ヨーロッパ諸国の人民生活と対比しないではいられない立場におかれたのであった。このことは、ソヴェト社会生活と文化との将来の発展とその独自性の確立のために、じつに深い影響をもっていると推察される。一九三〇年ころ、ソヴェト市民はドイツから機械工をよんで、精密機械製作について学ばなければならなかった。造船技術はピョートル一世がオランダ人から学んだ。ソヴェト市民の淳朴な感情には、民族的偏見というものがなくて、文明的な先進国として、資本主義国の文化にたいするものめずらしさや、判断を加えることを遠慮する感情があった、最も単純な列として、女のひとたちのフランス白粉や靴下への愛好があったよう
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