った激励の挨拶の、あの人間らしい暖かい具体性、肺腑にしみ入って人々にソヴェト市民たる価値と歓喜とを自覚させるあの雄勁なリズムは、ソヴェト市民が、誇りとするにたりない詩であるだろうか。雄々しくその線を守って倒れた七百万人の生命とともに、それをもったことを愧《は》じるような、そういう表現であるのだろうか。雄勁であるからこそほとんど優美であり、堅忍でありえてはじめて湛えられる柔和の情感にみち、彼らの科学のようにリアリスティックであり、彼らの生産プランのようにテーマと様式の統一にたいして本気である、そういう文学が、彼らの偉大な勝利ののちに生みえないとどうして信じられよう。
 日本の作家にとって、眼に浮ぶ涙なしに、このページは書けなかった。日本の近代文学のどこにただ一すじのベリンスキー、ニェクラーソフの伝統があるだろうか。われわれは、たとえようもない貧寒さに立っている。だが、私たちはシューマンの荘重な一つの歌曲を思いおこさずにはいられない。その歌はうたっている。「私は、悲しまない」と。先にゆく人影がないのならば、まずその道を行った人々によって伝統が始められたことを知らなければならない。日本の人民
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