かかわりを、女のひとは、娘から妻となり母となってゆくという生理の過程を中軸にして辿ってきていたと思える。愛の展開も従って本能的に行われて、女の母性的な愛の本質は非常に豊かに潤沢なものである筈なのに、女の歴史のくりひろげられる場面がそれぞれの家庭という墻《かき》の内に限られていたとおり、愛の作用まで無意識の狭さを与えられた。女は愛情ふかいものとされながら、その愛は主観的で、身のまわりだけに没頭の形をとって来たのであった。
現代は、世界史が一つの画期をつくり出しつつある時代で、その中での日本も未曾有の複雑な転回を示している。時々刻々に社会全般の生活が動いて行っていて、その動きの中では種々様々の声と行動とが主張されている。しかし、一つの声なり行動なりがそれ自身完結完成しているということはあり得無いのだから、今日から明日へつづく現代の歴史的な推移の間で、私たちは自分たちとしての生のモラルを掴まなければならず、現代に生れあわせた最高の可能を知らなければならないのだと思う。外見の上では、昨日までの幾千万の女性たちが経て来たとおり、妻となり母となる形で自分の生を拡大してゆくにしろ、今日の若い女性は
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