既に自身のその過程に対して無意識ではあり得なくなっていることは確であろう。女だから子を生む。そういう単純な生理に従うだけでなく、次の世代としての子供らの母となるという社会的な自覚と責任の中によろこびを感じようとされて来ている。その自然な力づよい生のよろこびの確保のためにも、自身の愛の成就のためにも、私たちは自分たちの時代が、いかにきのうにつながり、いかに明日にくりひろげられてゆくかということについて無知であり得ないと思う。歴史が現代のように強烈な動きを起している時代にあっては、生のよろこび、愛の成就そのものも単一平坦な道を通ることがむずかしくて、ある場合には殆ど耐えがたいような悲傷、痛心を耐え終せて、自分たちの愛を完うせざるを得ないような場合も殖えて来ているのである。
 勇気とか堅忍とかいうことがしばしば云われるが、勇気や堅忍を可能にする力は何によって湧くのだろう。生活の意味に対する明るい知と愛とを抜いて、人は真に勇気に満ちることも堅忍であることも不可能である。勇気とか堅忍とかいうものは、結果ではなくて一つの行動の内面的な弾機《ばね》である。私たちが日々の生活で、歴史からつくられた者で
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