くりあげてゆくための暗示の可能性とその方向の指針として。さもなければ、今日の日本の新聞に、共産主義者は軍国主義者であるというような愚劣な文字がどうしてあらわれ得るだろう。
共産主義のみならず社会主義的な社会観をきらうすべての人は、なによりもはっきり一つのことを知っていた――社会主義者「赤」は「一億一心」の聖戦を、帝国主義戦争だの、資本主義の矛盾からおこる悲惨だの、人民の犠牲だのと、けちをつける。だから投獄されてもしかたがないと。他の多くの人々は思っていた。実際聖戦の本体は侵略戦争かもしれないが、天皇がそれを命令した以上、人民は従わざるをえない。従った以上勝利を欲する。「赤」のように反対したってはじまらない。それぞれニュアンスの相異はあるにしろ、戦争反対者は「赤」であるという事実の理解では一致していた。
ところが、今日になると、軍国主義者は共産主義者だといわれはじめた。この発言が事実と逆であり、愚劣であり、国際的な嘘であることがわからないでいわれているのではない。戦時中、愚劣とわかり野蛮とわかっていたファシズム治安維持法そのものに、まともに抗争しようとしなかった日本の知性の特色が、こ
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