こではっきり計量されている。第二次大戦を経たのちは、ファシズムの戦争挑発に対して、どの国の人民も抗議を感じている。しかし、戦争挑発をつづけてその恐怖の投影のもとに新たな拡張を実現しようとしている国内国外の力にとって、日本の人民が心から戦争をきらい、戦争にかり立てられることを拒んでいるその感情を、今日行われている戦争挑発の全過程に対する抵抗として結集し、理性的究明と行動によって立ち上っては不便である。軍国主義とファシズムに対する人民のしんからの嫌悪を逆用して、その名を戦争挑発反対者に冠らせ、内外の戦争挑発に対する抵抗分子を除去しようとする試みは、近代マキャベリズムの一つの着想として考えられないことではない。
 この場合、日本の知性が、これまでどおり神経質に感情的であって、人類生活にとって最も大切な一点を守るために共同防衛のための同意点を発見するところまで、理性の成長をとげていないということも、計量のうちに入れられていると思わなければならない。少くとも戦争の間日本の知性は、それが窮極には彼自身の破滅を意味したことだったのに、個性という近代のよび名で装われた封建的な孤立化に各自を置き、孤立し
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