世界の寡婦
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)健気《けなげ》
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(例)[#地付き]〔一九四六年十二月〕
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八月十五日に戦争が終って、はじめて日本じゅうの家々に明るく電燈がついた。久しぶりにうす暗いかさをとりはずし、隅々までくっきりと照らしだされた炉ばたに坐って一家のものがあらためて互の顔を眺めあった刹那、湧きあがった思いと新たな涙こそ忘れがたいと思う。冴え冴えとした夜の明りは、何ヵ月も薄くらがりにかくしていた家の様子をはっきりと目に見させ、それとともに、この灯の下に、団欒から永久にかけてしまった、いとしい者のあることをも、今さら身に刻みこむ鮮やかさで思い知らされたのであった。灯のついたはじめての夜、家々の思い出と涙とは新たであった。
戦争で良人を失った女のひとの数は日本だけでどのくらいにのぼるだろう。今こそ数はわからないが、先頃の人口調査の結果では、男女の人口比率で、日本では婦人が男子よりも三百万人多かった。ヨーロッパの国々とちがって、これまでの日本は大体男女人口比率が平均していたのに、この戦争のあとでは、三百万人も婦人が多くなった。つまりそれだけ男が殺された。三百万人という婦人の中には、もとより年よりも子供も入っていよう。しかし、どんなに多い割合で良人を失った妻、父や兄弟を失った娘、息子らを失った母、そして、愛人を死なした若いひとたちがこめられていることだろう。
第二次ヨーロッパ大戦で、大きい深刻な犠牲を蒙ったのは、日本の婦人ばかりではなかったし戦争に敗北した国々の婦人たちばかりでもなかった。ドイツ・イタリー・日本。これらの国の女性は、ほんとうに有無をいわさず、愛情の懐から男たちを奪われ、野蛮と不条理で押しすすめた戦争のうちに愛する者たちを死なした。ファシズム・ナチズムの不条理と非人間らしさと戦って、それに勝利し、人間は最後には理性ある生きものであることを証明した民主主義国――アメリカ・イギリス・ソヴェト同盟・中国その他の国々でも、そこで行ったのは戦争であった。大規模で最も科学的な殺戮であった。正しさのためにも婦人は自分と愛する者たちの運命とを、歴史の仮借ない歯車の間においたのであった。
ヨーロッパの婦人たちが、民主平和のヨーロッパ再建のための連合国憲章にもとづいて、婦人たちの大統一戦線をこしらえはじめたこころもちは、同感される。第一次欧州大戦のあと、ヨーロッパ諸国の心ある人々が男も女も、平和の永続のために、どんなに苦心し、話し合い調和点を見出そうと努力しつづけて来ていたかということは知らないものはない。第一次大戦の惨禍は生きているものに、平和を警告しつづける記念物として、ヴェルダンの廃市に一望果ない戦死者墓地となってのこっていた。パリの華麗なシャン・ゼ・リゼのつき当りの凱旋門の中に、夜毎兵士に守られて燃えつづけていた戦死者記念常夜燈に、平和は求め叫ばれつづけていた。
二十五年めに、ナチス・ドイツの乱暴な侵略で第二の大戦がはじまったとき、民主国の男女は怒りに燃え、この世界にもう決して戦争がおこらなくするために立った。そして、愛する人類の平和のために、愛する人を捧げ、自身の幸福と平安とを断念したのであった。
そのようにして、愛するものを失った女性が、涙と血をとおして、平和のための婦人の民主団体をこしらえた心は、私たち日本の女性にもひしひしとうなずける。ヨーロッパ諸国で、この戦争のあとでは婦人が建設のすべての面に進出し、しかもそれらの婦人たちがこれからの社会をどうみているかといえば、ほとんどすべてが政党でいえば、「真中から左」を立ち場としているということにも、真実のよりどころがある。平和は、帝国主義の戦争に賛成しないものによって、はじめてうそとかけひきなしに確保されるのであるから。『太平』という雑誌の十月号は「欧洲の女性は前進する」という題で、ドロシー・D・クルックルという婦人がこの事情を説明して書いている記事をのせている。
このたびの戦争によって世界には未亡人が満ちあふれた。ナチス・ドイツは、女性の歎きと訴え、人民全般の悲傷の思いをふみにじって、戦争中、婦人が喪服をつけることを禁止した。ドイツの人々が、日に日に増大する黒衣の女性をみて、ナチス政権がしかけた戦争が、そのようにドイツ民族を殺しつつあることを知るのをおそれたのであった。日本でも、戦争中戦傷者の発表が奇妙な形で行われた。だんだん小きざみに、部分的に、私たちには総数が一目でのみこめない形で発表された。ナチス・ドイツでは婦人に黒衣を着せなかった。日本ではそういう禁止は出さなかったが、果して生きているやら、死んだものやらはっきりしなくて、実に多くの妻たちが黒服も着かねるような状態におかれたのであった。日本のつつましい女性は、ほとんど全部が海の彼方の生活は知らず、地名もなじみない彼方に遠く、手紙さえ書けず、はかなく愛するものを死なした。
すこし深めて、第二次世界戦争のいきさつを眺めてみると、私たちを非常におどろかせる事実がある。それは、今回のナチズム・ファシズム対民主精神の大戦争では、戦争による未亡人というものが、決して直接、職場で戦死した良人たちの妻ばかりではないということである。
二十五年の年月は第一次大戦と第二次大戦の闘争の方法をすっかり変化させた。戦線は飛行機の快速力とともに拡がった。すべての交戦国にとって銃後というものは存在しなくなった。戦災という言葉は戦争によってひきおこされた輪の外での災難を意味してつかわれているようだけれども、そして、なにか附随的な現象であり、それは、のがれたものとのがれられなかったものとは本人たちの運、不運にかかわることのようにうけとられているが、それは間違っている。戦災は、現代戦争の方法がああいうものである以上、戦争の輪の中において考えられるべきことである。より遠い前線というちがいしかなかった。世界はそれを明瞭に知っている。日本じゅうでは、戦災で良人や子供を喪った女性が決して少くないのである。これらの孤独になった妻たちは、一人として個人の身勝手からおこった事故で未亡人になった婦人たちではない。戦争による未亡人である。
更に、もう一歩こまやかに進み出て私たち女性の生活をながめ入ったとき、そこに発見される現代史特有の悲痛な事実がある。それは、戦場で死んだのでもなく、爆撃で死んだのでもないが戦争の直接のおかげで殺された人々の妻たちが世界じゅうにいる、ということである。
戦争中という言葉が、今日いわれる場合、私たちは一言の説明を加えないでも、それが苦しかった時代、無茶な抑圧のあった時代、人権がふみにじられていた時期として、心が通じ合う。一冊の雑誌、一冊の本、風呂屋、理髪店での世間話さえ、それが戦争についての批評めいたものだと密告され、捕縛され、投獄された。私たちは、今もなお悪夢のような印象で一つのポスターを思い出す。省線各駅、町会の告知板に、徳川時代の、十手をもった捕りかたが手に手にふりかざした御用提燈が赤い色で描かれたポスターがはられた。赤い御用提燈に毒々しくスパイ御用心と書かれていた。当時の権力者たちは、自分らでまきおこした大惨禍を、国民が反省し、考察し、批判して是非を論じることを極端におそれた。そういうものを一括して、スパイと思わせた。道理に立つ足場が弱かったから、それだけ人間の理性の明るさを恐怖した。ある婦人雑誌などはその一頁ごとに、洋鬼を殺せ、とおそろしい文字を刷った雑誌を、おとなしい家庭的な日本の妻たちの手もとにおくったのであった。
条理に立つ判断を人民の精神の中から追いはらい、追いはらえないものならば、出来るだけそれを封じこめて、目かくしをされた家畜のように戦争に狩りたててゆくために、日本の法律は、全く恥というものを知らない行動をした。日本の治安維持法が昭和三年に制定されて、昨二十年の秋廃止されるまでの十七年間に、ものを考え、日本の未来について憂慮する人々を約十万人も投獄した。幾人もの人が獄中、獄外で殺された。治安維持法が廃止された去年の秋、その法律の犠牲になった人々は、民衆の解放のための英雄として、新しく見なおされた。先頃上映されていた「命ある限り」という映画は通俗化されながらも、これまでひたかくされていたこれらの事情をいくらかは人々に会得させたのであった。その犠牲者の妻たちを、私たちはなんと呼んだらいいのだろう。古い言葉をそのままにあてはめれば、彼女たちは、やはり今日の幾十万人の未亡人中の一人一人なのである。
ヨーロッパ諸国で、この事情は、もっと複雑な内容をもって歴史の前面にあらわれて来ている。私たち日本の女性も、その名と作品とはいくらか知っている文学者トーマス・マンが、ドイツからアメリカへ亡命したのはなぜであったろうか。アインシュタインがアメリカへゆき、ジョリオ・キューリー夫妻がパリーのキューリー研究所をすててスイスへ逃れたのはなんの理由によるだろう。ナチスは、ドイツ人だけが人類の中で繁栄すべき民族だと主張して、見識のせまい、偏見にみちた保守勢力に迎合した。そして、民族的偏見に火をつけて、自分らの政権を維持する便法にした。ナチスの他民族排撃の野蛮さは人類史の最大の汚辱といえる。ナチスは、ユダヤ人を追放し、財産を没収し、集団的に虐殺した。ニュールンベルグの国際裁判の公判廷で、ゲーリングは自分らの惨虐をふたたびフィルムの上に展開されて、文字どおり嘔吐したと伝えられている。その命令を下した人物さえ、それを見直すにたえないほどの惨虐が行われたのであった。何十万人かがその餌食とされた。生きのこった妻たちは、今日新しいヨーロッパの目ざめとともに、何を思い何を欲し、そして何を打ち立てようと希っている未亡人たちであろうか。
ナチスは、ユダヤ人をいためつけたばかりでなく、そういう行為は人道にもとることを発言するすべてのドイツ人を投獄し、あるものは殺した。それらの人間らしかったドイツの人々の妻たちは未亡人の喪服の中でいたずらに数珠をつまぐっているだけだろうか。諸国を侵略したナチス軍が、占領地の愛国者たちをどう扱ったかということについては、世界がなまなましい無尽蔵の実証をもっている。ウクライナ一地方での状況を、ガルバートフの「降伏なき民」という小説によって私たちは想像することが出来た。これらの諸国の妻、母でもある生きのこった妻たちは、自分たちの生涯から奪われた愛についてどう考えているだろう。
そして、横浜で行われている日本の国際裁判の進行は、私たち正直な日本のすべての女性を悲しませている。日本の自分たちの身の上に蒙った生活破壊のおそろしい被害は、中国の婦人たちの上にどんな荒々しさでふりかかっていたかということを知らされた。フィリッピンその他の諸民族が受けた惨虐は、日本にこれほどどっさりの未亡人をこしらえた、その軍事権力の仕業であることを知ったのである。
これらの事実をしみじみととりあげた上で、未亡人という三つの文字を考えるとき、現代の歴史の中で、未亡人の問題は、これまでとまるでちがった重大で深刻な創造的な意味をもって浮び上って来る。今日の、未亡人の問題は国際的である。しかも、民主精神が、世界にあまねきものとなって来た現世紀の発展の過程で、その犠牲として生じた世界の未亡人たち、孤独にされて生きてのこった母なる妻たちは、よるべない境遇以上の生存の意義をもって、明日に向って発言しようとしているのである。
昔、三宅やす子という文筆家があった。理学博士の夫人であったが、良人の死後、自分が未亡人という名で扱われることに抗議して未亡人論を書いた。封建のしきたりによって、社会的に活動しようとする婦人まで、良人の死後は「未だ亡くならない人」という観念で見ることの不自然さをついたのであった。
今日、二十代の女性で良人を喪った人は決してすくなくないと思う。結婚後一週間で良人が出征し殺された人々さえ少くないと思う。そ
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